ホーム > コラム > 一般民事法 > 交通事故 > 過失相殺と身体的特徴の斟酌

コラム

東町トピックス

過失相殺と身体的特徴の斟酌

H23.7.6 木下 卓男

判例,特に有名な最高裁判決になりますと,「昭和50年判決」とか言っても何のことか分からないので,関係者の名前や地名などを判決や事案の名称にすることがよくあります。憲法の分野では「猿払事件」「宴のあと事件」「チャタレイ夫人事件」「東大ポポロ座事件」などなど枚挙にいとまがありません(ちょっと古いかも・・・)。夫の運転する自動車に同乗していた妻が事故で負傷した場合に自賠法3条の賠償責任が認められるかが争われた「妻は他人」事件など,結構しゃれたネーミングのものもあります。

今回紹介する最高裁平成8年10月29日判決は,当時,「首の長い女性事件」とか「首長事件」と呼ばれ,世間の注目を集めましたが,さすがにこれは差別的な表現で,被害者の心情を貶めるものだということで,最近では「身体的特徴事件」などの無難な呼び方に落ち着いたようです。

事案の概要は,原告運転の自動車が被告運転の自動車に追突され,原告が頭部を運転席に強く打ちつけ,頚椎捻挫と診断された後,頭頸部外傷性症候群による頸部・後頭部疼痛,矯正視力低下等の症状が発症したというもので,1審・2審は,被告らの責任を認めたものの,原告の身体的特徴つまり平均的体格に比して首が長く,多少の頚椎の不安定症があるという点が症状を悪化ないし拡大させた等の理由から,過失相殺にかかる民法722条2項を類推適用し,認定損害を4割減額しました。これに対して原告が上告し,最高裁は原判決を破棄差戻しとしました。いわく「被害者が平均的な体格ないし通常の体質と異なる身体的特徴を有していたとしても,それが疾患に当たらない場合には,特段の事情が存しない限り,被害者の右身体的特徴を損害賠償の額を定めるに当たり斟酌することはできないと解すべきである。」。

ところで,事故前の持病・既往症,病気・障害をこうむりやすい遺伝的な素質,器質的変化,機能障害などの被害者の「素因」が加害行為と相まって損害を発生または拡大させた場合の取扱いについては,判例上,従来から「寄与度」「寄与率」等の用語により説明され,学説的にも因果関係の次元で議論するもの(割合的因果関係論や部分的因果関係論など),法的評価の次元で議論するもの(過失相殺規定の類推適用など)等,百花繚乱の観がありました。

最高裁は,平成4年6月25日判決を皮切りに,被害者の身体的素因についても,過失相殺規定の類推適用による損害減額を認め,下級審においても,「過失相殺規定の類推適用」という理屈が抵抗なく用いられるようになってきました。

ところが,例えば普通の歩行者なら衝突が避けられたのに,被害者が太り気味だったために避けられずに衝突して怪我をしたという場合や,加齢のためにとっさの瞬発力がなくなって自動車を避けられなかったというような場合を想定すると,それを「不注意に準ずる」として素因減額の対象とすると,やや気の毒な結果ともなりかねません。

このあたりは,最高裁も一定の歯止めをかける必要を感じていたらしく,4年後の平成8年になって,これまで被害者の「素因」として論じられてきた事項のうち,「身体的特徴」は,原則として減責の対象とはしないと判断したのがこの判決と言われています。

ただ,実際の被害者の身体的な状況について,果たして既往症などの「疾病」と,「身体的特徴」,特に外見からは判別しにくい「体質的特徴」とに明確に区別して議論することができるのかという問題や,そもそも「疾病」自体についても,頻度の高いもの(想定内のもの)と低いもの(想定外のもの)を同列に取り扱えるのかという疑問もあります。

もともと最高裁判例の採用する民法722条2項類推適用というのも,ほかに根拠がないので無理やり引っ張ってきた「借用」という感じで,むしろ実質的な立法作用とも言えるものですが,理論的な根拠が薄い分だけ,逆に種々の場面に応じた事案ごとの柔軟な運用が可能となるメリットがあります。この点,確かに「身体的特徴事件」以降の判例動向を厳密に分析して行くことは学説的には必要なのかもしれませんが,類推適用の要件をあまりガチガチに整理してしまうと,結果的に逃げ場のない硬直的な運用ともなりかねませんので,今後とも,ある程度ファジーな裁判所の認定裁量の余地は残しておくべきではないかと思います。

それにしても,この事件が「首の長い女性事件」ではなく,「足の短い太った男の事件」だったら,何のインパクトもなく,闇に埋もれていた可能性があります。そう思うと,やはり判例紹介にあたってのネーミングは重要なのかもしれません。

このページの先頭へ