偽計業務妨害罪
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刑法233条は、「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、3年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」と規定しています。このうち「その業務を妨害」する犯罪のことを業務妨害罪と呼び、次の234条の「威力を用いて人の業務を妨害」する威力業務妨害罪と区別して「偽計業務妨害罪」と呼んでいます。最近目を惹いた事例としては、インターネットの掲示板に、近日中に駅構内で無差別殺人を行う旨の虚偽の犯罪予告をしたため、これを閲覧した者の通報により警察官が出動した事案について本罪が適用されたものがあります(東京高裁平成21年3月12日判決)。
ところで、先月、京都大学などの入試問題が試験時間中にインターネットの質問サイトに投稿されるという事件があり、投稿した受験生が偽計業務妨害罪で逮捕されました。
捜査当局は、この件で当該受験生が受験した大学が回収した全答案をインターネットの質問サイトの回答と照合する作業を強いられたということで偽計業務妨害罪での立件に踏み切りました。
ただ、感覚的に釈然としないのは、カンニングをした本人は、おそらく絶対にバレないという確信をもって投稿行為を行っているはずで、後日大学側が答案用紙のチェック作業をするというところまでの積極的な認識はなく、本罪の故意があるのかという点です。もちろん、故意の中には、結果発生の可能性を認容した場合、つまり「未必の故意」も含まれますので、理屈のうえでは本件でも故意の認定は可能だとは思うのですが、「カンニング→ずるい」という素直な感想と「業務を妨害した(手間かけやがって)」という結果とが必ずしも結び付かないように思われます。確かに、試験中にカンニングがバレて、試験会場が騒然となって試験が中止になったとか、試験時間が延長されたとかいう場合なら、業務妨害らしい様相を呈することにはなりますが、それでもまだ業務妨害の故意の認定には素朴な疑問が残ります。
むしろ、「カンニングがあった」→「他にもカンニングをした人がいるのではないか」(実際にも、試験受験中に他の受験生が質問サイトを見たという可能性はゼロではありません)というような不信感を生むことで、真面目な受験生や大学自体の信用を貶めたとか、公正であるべき試験制度そのものを「業務」ととらえて偽計業務妨害罪の成立を認めるのが社会常識に合うのではないかと思われます。実際に判例は、本罪を抽象的危険犯(犯罪の成立には法益が現実に侵害されたことを要せず、単に侵害の発生の抽象的危険があれば足りるという犯罪)と解していますので、確かに公正な試験制度そのものの遂行を阻害するおそれが生じたものとして本罪の成立が認められる可能性が高いと思われます。ただ、そこまで行くと、大学の入学試験ではなくて、例えば高校の定期テストでカンニングをしても、理屈のうえでは業務妨害罪になるということになりますし、卒業を控えた大学生が留年するために卒業試験にわざと白紙答案を出したような場合にまで、試験の公正さを阻害するおそれがあったと認定されかねません。
ちなみに、替え玉受験の事例では、私立大学の答案用紙は刑法159条の「私文書」(事実証明に関する文書)にあたるとして、私文書偽造・同行使罪が成立するものとされています(最高裁平成6年11月29日決定)。こちらのほうは、確かに「え?答案も私文書?」という疑問もないわけではありませんが、何となく「他人の名前を書いた」→「採点者をだました」というストーリーは分かりやすいものです。
これに対して、今回の逮捕事実では、「採点者をだました」という観点は見逃されて、「無駄な作業をさせた」という実害がクローズアップされていますので、確かに「カンニングをすると逮捕されるよ」という教訓にはなりますが、「どうして逮捕されるの?」と突っ込まれると、なかなかうまい説明ができないように感じます。
本件では、当の受験生はすでに受験した全大学を不合格・失格になって、実名報道こそなされていないものの、これだけ全国的に報道されて十分社会的制裁を受けたということで年齢によっては起訴猶予または保護手続になるかもしれません。だとすると、今回の「カンニング罪」については、起訴状や判決を見る機会もなく終わってしまうかもしれません。
このように、立法者がもともと想定していなかったような行為が現行刑法の特定の条文に無理やり当てはめられてしまう「怖さ」は、至るところにあり、本件を契機としてこの問題を真剣に考えていただければと思います。