がん告知の難しさ
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皆様いかがお過ごしでしょうか。年末のこの時期に暗いテーマで申し訳ありませんが、今回はがん告知の問題を取り上げたいと思います。
患者に対する医師の説明義務については、最高裁の指導的な判例があり、「医師は、患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情がない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務がある」としています(最高裁平成13年11月27日判決)。
この事例自体は、外科手術に関するものですが、がん告知についても、基本的にはこの判例の掲げる基準によって医師の説明義務の内容や範囲が定まることになり、医師は診療契約上の義務として、がんの具体的な症状やその治療方法について患者に説明すべき義務を負うことになります。
黒澤映画の傑作「生きる」(昭和27年)は、志村喬演ずる主人公の市役所課長が病院でがんの診断を受け、残された人生の重みを感じて最後の仕事に邁進して行くという感動的なストーリーですが、がん診断の場面では、医師は最後まで告知を避け、主人公はたまたま病院の待合室で同席した他の患者の何気ない一言ですべてを察したのでした。当時、がんは不治の病であり、医師が一旦それを告知すれば、患者は精神的ショックのため立ち直れず、逆に死期を早めてしまうということで、別の病名を告知したり、適当な薬を処方してお茶を濁すというのが一般的でした。さきほどの平成13年最高裁判決でも、何が何でも告知せよというのではなくて、「特別の事情がない限り」という限定が付いていますので、例えば患者本人が正常な理解力を有していなかったり、絶望や自暴自棄に陥るなどして治療の効果を上げえないというような事態が客観的に裏付けられる場合には、例外的に告知義務が解除される趣旨と解されています。
ただ、ここ20年ほどの間に、医療の世界ではインフォームド・コンセントの要請が強まってきており、昔のように「患者がショックを受けるから」というだけで告知義務が解除されるという単純な話では済まなくなってきています。特に末期がんに対するターミナルケアや専門家によるカウンセリングなど、残された人生をどのように充実して過ごすかという問題が医療現場での重大な課題となりつつあります。また、インターネットの普及によって、誰でも簡単に専門的な医学知識を得られる時代となり、逆に、危うい素人的な自分勝手な診断を防ぐためにも、専門医によるきちんとした病名告知が求められている点も見逃せません。
なお、がん告知に関しては、まだまだ治療の難しい病気である以上、家族の理解と協力は不可欠であり、患者本人に対する告知の問題とは別に、家族に対する告知の適否・方法・内容といった難しい問題があります。仮に患者本人への告知が診療上相当でないと判断された場合であっても、診療契約上の付随義務として、家族に対するがん告知が必要となることがあります。最高裁も、回りくどい言い方ではありますが、「物心両面において患者の治療を支え、また、患者の余命がより安らかで充実したものとなるように家族等としてのできる限りの手厚い配慮をすることができることになり、適時の告知によって行われるであろうこのような家族等の協力と配慮は、患者本人にとって法的保護に値する利益であるというべきである」と述べています(最高裁平成14年9月24日判決)。もともと診療契約自体は患者本人と医師・病院との間の契約ですので、医師が直接家族に対して告知の義務を負うわけではないけれども、患者本人との間では、医師は家族への告知・説明の義務を負う場合があるという論法です。
ところが、抽象的にそのように言えたとしても、実際の医療現場では、患者本人や家族の「知る権利」とともに、「知りたくない(知らされない)権利」も尊重される必要がありますので、さらに複雑な問題が生じます。つまり、(1)患者本人が知りたいかどうか、(2)患者本人から家族への希望(家族に知らせてほしいかどうか)、(3)家族が知りたいかどうかという3つの次元の問題があり、そのYES・NOの組み合せによって、2×2×2=8つのパターンが考えられます(応用系として、患者が若年者の場合に、家族の視点から「患者本人に知らせてほしいかどうか」という次元の問題も想定されます)。このうち、(1)患者本人は知りたいが、(2)家族には知らせないでほしいと思っていて、(3)家族は知りたいと思っている場合にはどうするのか、逆に、(1)患者本人は知りたくないと思っているが、(2)家族には知らせてほしいと思っていて、(3)家族は知りたくないという場合はどうするのか、といったシビアな場面に直面することがあります。判例上からは、とにかく告知義務の範囲を広く解する運用が望まれるところですが、告知によって逆に患者の「知りたくない権利」を侵害する可能性もあり、そうなると、単に告知の可否という二者択一の問題を取り出して議論するのではなくて、告知前・告知後を含めた医療機関側の診療体制全体の中で、果たして患者本人や家族の協力姿勢を引き出すために医師はどのように行動すべきかといった、より広い視点が必要になってきます。
国立がん研究センター病院の「がん告知マニュアル」(平成8年9月)では、がん告知の問題について、すでに「告げるか、告げないか」という議論をする段階ではなく、「いかに事実を伝え、その後どのように患者に対応し援助していくか」という告知の質を考えていく時代になったと言われています。法律の世界では、患者との診療契約において、どの範囲での告知が求められているのかという表面的な議論しかできないのですが、ある意味ではそれが法解釈なり法運用の限界でもあり、患者にとって本当に必要な「告知の質」の中味については遠く及ばない世界で、判例理論がそこまで追いつくのはまだまだ先のことではないかな、というのが率直な感想です。