非終末期における人工透析の見合わせ
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昨年8月、東京都の公立F病院において、担当医が腎臓病患者(当時44歳の女性)に人工透析治療中止の選択肢を示し、中止を選んだ患者が約1週間後に死亡した問題をめぐり、日本透析医学会は、今月25日、2014年ガイドライン(正確にはガイドライン策定に向けての「維持血液透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」以下、単に「ガイドライン」といいます。)について、今年中に見直す方針を明らかにしました(2019.3.25朝日新聞)。
いわゆる終末期における人工呼吸器の取り外しの問題をめぐっては、第222回コラム「終末期医療と人工呼吸器の取外し」においても紹介させていただいたところですが、公立F病院の事例では、全国の透析患者の透析開始時の平均年齢の68.68歳を大幅に下回る当時44歳の、いわゆる終末期でない患者に対する透析見合わせの判断が果たして医学的・倫理的観点からみて妥当であったのか、判断に至る意思決定プロセスに問題はなかったのかという点が問題とされているようです。
血液透析は、腎不全患者の尿毒症を防止するため、患者の血液を体外に導出し限外濾過と溶質除去を行う医療行為ですが、基本的に1回4~5時間、週に3回の通院が必要とされています。その精神的・肉体的な負担はもとより、患者の人生観そのものにも影響を与えることから、往々にして「もう生きていても仕方がない」「周囲に迷惑をかける」との心情に陥り、透析導入/継続を見合わせたいとの希望が述べられることがあります。
ガイドラインは、患者への適切な情報提供と患者が自己決定を行う際の支援(提言1)、自己決定の尊重(提言2)、同意書の取得(提言3)、維持血液透析の見合わせを検討する状況(提言4)、維持血液透析見合わせ後のケア計画(提言5)から成りますが、公立F病院の事例との関係では、「提言4」が重要です。
具体的には、患者の尊厳を考慮したとき、維持血液透析の見合わせも最善の治療を提供するという選択肢の一つとなりうる、維持血液透析の見合わせを検討する場合、患者ならびに家族の意思決定プロセスが適切に実施されていることが必要である、見合わせた維持血液透析は、状況に応じて開始または再開されるとの内容ですが、「見合わせ」について検討する状態(要件)としては、大別して、①維持血液透析を安全に施行することが困難であり、患者の生命を著しく損なう危険性が高い場合、②患者の全身状態が極めて不良であり、かつ「見合わせ」に関して患者自身の意思が明示されている場合、または家族が患者の意思を推定できる場合が掲げられています。このうち、①は、例えば心不全による血圧低下などにより血液透析が負担となるような場合、②は、終末期とまでは言えないにしても、末期がんのため予後が数か月と予測できるような場合が典型例とされています。
また、患者等の意思決定プロセスとしては、患者の判断能力の評価、透析療法の開始・継続・見合わせに関する患者による意思表示が記載された事前指示書の尊重、複数の専門家からなる委員会(倫理委員会など)による助言、自己決定の変更が可能である旨の説明などが重要です。公立F病院の事例では、上記①②のいずれの要件の病態であったのか、仮に患者本人による「見合わせ」の明示意思があったとしても、その後の意思変更の事実がなかったのか等の問題が想定されるところですが、上記朝日新聞の報道によると、すでに公立F病院からの依頼により学会の調査が開始されており、今年5月中に調査委員会の報告とあわせて学会理事会としての声明が公表されるとのことですので、その経過を待ちたいと思います。
なお、その後のガイドラインの改定については、わが国においては、尊厳死に関する法律もガイドラインも整備されておらず、終末期医療のあり方についてすら議論が多い中で、人工透析の見合わせの範囲を終末期(またはそれに準ずる状況)から、尊厳死を望む延命拒否の事例まで広げるというのは、かなりの困難が予想されるところですが、医療現場の実態からすれば、一刻の猶予も許されない重大問題であることは疑いのないところです。