オーストラリアの現代奴隷法
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オーストラリアの「現代奴隷法」は、現在、国際社会が注目しているテーマの一つです。
イギリス、米国、欧州諸国に続き、オーストラリアの連邦議会は、昨年末に、 “Modern Slavery Act 2018 (Cth)” 「2018年現代奴隷法(連邦)」(以下、「本法」といいます。)を成立させ、本法は2019年1月1日に施行されました。本法の目的は、「一定の企業に対して、当該事業とサプライ・チェーン上の現代奴隷のリスク及び当該リスクへの対応について報告を義務付けること」とされています。
今回のコラムでは、本法の要点を確認するとともに、オーストラリアで事業を行っている日本企業に対する本法の影響について検討したいと思います。
現代奴隷とは?
そもそも、「現代奴隷」の定義はいくつかありますが、これまで、国際法やオーストラリア国内法では、明確に定義付けがなされていませんでした。本法では、人身売買、奴隷、その類似の行為及び「最悪の形態」の児童労働を含めて、「現代奴隷」について幅広い定義がなされています。具体的には、本法では、次の各行為が「現代奴隷」に該当するとされています。すなわち、 (i) 奴隷状態、強制労働、強制結婚、人身売買、臓器売買、借金による束縛等、連邦刑法に違反する奴隷とその類似の行為(オーストラリア外で行った場合を含む。) 、(ii) 「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」に規定された人身売買 、(iii) 国際労働機関の「最悪の形態の児童労働の禁止及び撤廃のための即時の行動に関する条約」に規定された最悪の形態の児童労働です。
上記のように様々な形態の「現代奴隷」の定義が定められていることからも分かるとおり、現在奴隷の被害者数についても様々な推定がなされています。国際労働機関が2017年に公表した報告書によれば、4030万人が現代奴隷の被害者となっているとされ、その内、強制労働者が2490万人で、強制結婚を受けた人が1540万人とされているのです。このように、サプライ・チェーンのグローバル化により、発展途上国の強制労働者が、オーストラリアや日本で消費されている商品の製造プロセスに関与させられている可能性があるといえます。
本法が要求する事項
言うまでもなく、オーストラリアでは、連邦法及び各州法により、現代奴隷に該当する行為は以前から違法行為とされていました。そのため、本法の目的は、「サプライ・チェーンにおける現代奴隷のリスクを撲滅する」ため、「現代奴隷に対応するために積極的かつ有効な行動を行うオーストラリア企業を支援すること」とされています。
本法は、オーストラリアを本拠としている企業またはオーストラリアで事業活動を行う企業で、連結収益が豪1億ドル(約76億円)を超える企業に対して適用され、これらの企業に対して、当該事業とサプライ・チェーンにおける現代奴隷のリスク、及びそのリスクに対応する行為について年間報告を提出する義務を課しています。なお、連結収益が豪1億ドルを満たさない企業であっても、任意に上記事項について報告することができます。
“Modern Slavery Statement”と呼ばれるこの報告書(以下、「MSS報告書」といいます。)では、最低限の説明事項として、以下の事項の記載が要求されています。つまり、
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- 当該企業の構成、事業とサプライ・チェーン
- 当該企業及びその関連会社について、その事業とサプライ・チェーンにおける現代奴隷のリスク
- デューデリジェンスや改善等、当該リスクを評価し、対応するため、当該企業とその関連会社が行っている行動(例えば、現代奴隷のリスクに対応する方針とプロセスの発展、現代奴隷に関する社内教育の実施等)
- 上記の各行動の有効性の評価方法
- 当該企業とその関連会社との間の協議のプロセス
- その他、関連する情報
上記に加え、MSS報告書には、当該企業の役員会がMSS報告書の内容を承認したことを示すとともに、権限を有している役員が署名する必要があることに留意する必要があります。また、提出されたMSS報告書の全ては、インターネットで公開されます。
MSS報告書の提出時期
MSS報告書を提出する義務のある企業は、その企業の当該事業年度の終了後、6カ月以内にMSS報告書を提出しなければなりません。1回目の報告年度は、本法が施行された後に始まる事業年度、つまり、2019年1月1日以降に始まる事業年度です。例えば、ある企業の事業年度が4月~翌年3月であれば、2019年4月~2020年3月の年度について、2020年9月までに1回目のMSS報告書を提出する必要があります。
2019年4月に、オーストラリア連邦の内務省が、企業向けのガイドライン案を公表し、パブリックコメントを募集しています。ガイドラインの最終版は、年内に公表される予定です。
MSS報告書を提出しなかったら…
MSS報告書を提出する義務のある企業がMSS報告書を提出しない場合、内務大臣は、当該企業に対し、提出しなかった理由の説明及び一定の期限までのMSS報告書の提出を要請することができます。企業がその要請に応じない場合、内務大臣は、当該企業の会社名と不履行の内容を公表することができます。
本法は、内務大臣に実施規則を制定する権限を与えていますが、罰則、逮捕、捜査、押収、課税に関する規則を制定することは禁止されています。つまり、違反する企業を罰せず、違反内容の公開のみによって本法の遵守を促すという政府の方針がわかります。
その他の留意点は?
オーストラリアには連邦制度があるため、関連する州法が存在するかどうかを検討する必要もあります。現代奴隷については、シドニーが州都であるニューサウスウェールズ州において、2018年に現代奴隷法(以下、「NSW法」といいます。)が成立しました。現在、NSW法がこの課題を取り上げる唯一の州法であり、2019年7月1日に施行される予定です。
連結収益が豪5千万ドル(約38億円)以上で、かつ、州内に従業員が1人以上存在する企業がNSW法の対象となります。NSW法も年次報告書の提出を規定し、その内容はMSS報告書と似ています。しかし、本法と異なり、報告書の不提出、又は、虚偽若しくは誤解を招く報告書の提出に対する、豪110万ドル(約8500万円)の罰金が規定されています。そのため、NSW法と比べて、本法は規制が弱いと批判を受けています。
また、NSW法においては、独立した現代奴隷防止局の設置について規定されており、その局長には、現代奴隷に関する情報を警察等の政府機関に報告する権限が与えられます。
NSW法が要求する報告書の詳細(1回目の報告時期など)は、今後制定される実施規則に規定されます。また、NSW法の実施規則に注意すべきもう一つの理由があります。それは、同規則が、本法を「相当する法律」として指名すれば、本法の対象となる企業がNSW法の対象外となります。これは、連結収益豪5千万ドルを超える企業がNSW法の罰則を受けるリスクがあるのに対して、連結収益豪1億ドルを超える企業が罰則を受けるリスクがないという違和感を生むことになります。
そのため、内務省のガイドラインとNSW法の実施規則のそれぞれの公表状況に留意する必要があります。
日本の企業が対象となるか?
本法の対象になるための要件として、オーストラリア国内において「事業活動を行う」(”carry on business”)という要件があります。この「事業活動を行う」について、本法は、連邦の会社法の定義を引用しています。外国の企業がオーストラリア国内において「事業活動を行っている」か否か判断すること自体がかなり難しいと考えます(この点は、今後のコラムのテーマにとして取り上げるつもりです。)。簡単に言いますと、外国企業が、オーストラリア証券投資委員会(ASIC)に登録する要否と同じ判断基準となります。従って、日本の企業がASICに外国企業として登録する必要がある場合、連結収益が豪1億ドルを上回っていれば、本法の対象となります。この連結収益は、オーストラリア国外の収益も含む点に留意する必要があります。
一方、NSW法の対象になるかを判断することは容易であり 、 州内に従業員が存在し、かつ、連結収益が豪5千万ドルを上回る場合には、当該企業が対象となります。
CSRに対する関心が高まっている昨今においては、本法の義務に違反した企業として公表されることは、企業の評価に重大な悪影響を与えることでしょう。そのため、オーストラリアに関連する事業について、本法に基づいたMSS報告書の提出義務が課されるものであるか、定期的にチェックする必要があります。世界中の現代奴隷を撲滅するため、サプライ・チェーンの実況を可視化し、潜在するリスクを特定して対応するべきでしょう。供給元企業に対し、本法と同様の義務を課す契約書を利用することも大事な手段と考えられます。1回目の対象となる事業年度が始まっている企業が少なくないため、早めの対応が有益でしょう。