緩和ケアと安楽死の間
執筆者
終末期医療の現場では、医師が患者の苦痛を取り除くための緩和ケアを行おうとする際、家族から「それは安楽死ではないのか?」という疑問が呈されることがあります。
もともと安楽死というのは、患者に致死量の薬剤を投与するなどして、生命を短縮させる積極的意図を持つ行為であるのに対し、緩和ケアは、患者の苦痛の緩和を目的とする治療行為であり、その目的や行為態様が全く異なります。
ところが、他の治療行為同様、使用する薬剤によっては、生命予後に悪影響を及ぼす可能性があり、不幸にして患者の死亡という悪い結果が生じた場合には、外形的に観察する限りでは、安楽死と同じような経過をたどることもあります。
一般に、緩和ケアと安楽死との区別は、患者の死期を早めることについての認識の程度の差と言われています。すなわち、患者を苦痛から逃れさせるために薬剤を投与することによって、果たして臨床的にみて何パーセントの確率で患者の死期が早まるかと考えていたか、によって区別されています。
このパーセントを一義的に示すのは困難ですが、例えば「高度の蓋然性がある」と認定される場合には、安楽死に分類されてしまう可能性があります。
ただし、一言で安楽死と言っても、刑法上の殺人罪に該当するかどうかは、別途の考慮が必要であり、「積極的安楽死」(致死量の薬剤の注射など)、「消極的安楽死」(延命治療の中止)、「間接的安楽死」(苦痛の除去・緩和により結果的に死期が早まることが確実な場合)など種々の分類がなされ、それによって殺人罪の該当性が議論されています。
ところが、「積極的安楽死」の場合はともかくとして、臨床の現場では、治療行為の生命予後への影響を具体的に数値化することは著しく困難であり、「消極的安楽死」や「間接的安楽死」といったカテゴリーも、ある意味で医療専門家でない法律家が自己の説明のため無理やり作り出した概念と言えなくもありません。
むしろ臨床医療の現場では、そのような無責任な分類(概念)が独り歩きをしないよう、安楽死との誤解を解くために、「患者家族に対してどのような説明をすべきか」という点に留意することが必要と思われます。
例えば、緩和ケアのための薬剤投与により、患者の意識レベルが極端に低下し、家族とのコミュニケーションが十分にとれず、そのまま死の結果を迎えてしまうことがあります。その場合、家族としては、「死期を早めてしまったのではないか?」「結果的に安楽死だったのではないか?」というような疑念や自責の念にとらわれることがあります。
もとより、すべての薬剤には副作用があり、何も緩和ケアに限らず、一般的な治療行為においても、生命予後への悪影響が避けられない場合もありますが、特に死期が迫っているターミナルケアの場面では、緩和ケアによって生命予後に対して具体的にどの程度の影響があったのか(または、なかったのか)について、家族の十分な理解が不可欠です。
すなわち、医療側としては、緩和ケアの導入に先立って、患者の全身状態について、抽象的な説明ではなく、具体的な評価スコアや因子ごとの臨床的な予測予後を示したうえで、緩和ケアは患者の苦痛緩和のみを目的とするものであって、これが生命予後の短縮に結びつくものではないことを丁寧に説明しておくことが肝要です。特に、患者の症状によっては、鎮静や苦痛除去の効果が期待できる薬剤の選択について、必ずしも文献的な裏付けが十分ではなく、その点も含め、家族に対しては包み隠さずに説明をし、治療同意を得る手続が必要です。
以上の点については、第222回コラムでも紹介した厚生労働省の「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(2018年)のほか、日本緩和医療学会の「苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン」(2010年)、日本医師会「がん緩和ケアガイドブック」(2017年)などを参考にしながら、各病院の実情に沿った緩和ケア体制を構築する必要があると思われます。