第55回 震災とわたし
執筆者
東北関東大震災の被災者の皆さまには心からお見舞い申し上げますとともに,救助,医療その他の救援活動に携わっておられる方々に心から感謝申し上げます。
当事務所も,16年前に,阪神大震災に遭遇し,神戸市中心部にあった事務所ビルは全壊しました。もし,執務中であれば,私は,私の背中側においてあった400キログラムの金庫に押しつぶされていたに違いありません。こうして,今,生きて仕事をしていられるのも全くの偶然,つまり「運」でしかありません。我々の先祖が「諦観」という言葉を持っていたのも,このような心境に至らざるを得ない状況に度々見舞われたからかも知れません。
しかし,このような「運」に支配されざるをえない中にあっても,日頃から,十分な「備え」をしておくことは重要です。今回のコラムでは,「備え」が如何に重要かということについて,私個人の地震に関係した経験からお話してみたいと思います。
実は,私は,阪神大震災の前年の1994年に,個人的に大震災発生の恐れを漠と感じていました。夏が異常に暑いのは地熱の上昇に由来するというような見解もありますが,この年の夏は異常に暑く,九州では一日数時間の給水制限が長期にわたって行われ,年末には,大阪湾周辺で小さな地震が頻発していました。1995年の地震後,娘が幼稚園で,「お父さんが最近小さな地震があちこちで起こるので,もうすぐ大きな地震が来るかも知れないと言っていたら,本当に,大きな地震がやってきました。」と絵日記に書いていたことから,家でもそのようなことを口にしていたのだと思います。私は,このような不安感もあって,妻に指示して,自宅に半年分の食糧と1か月分の携帯燃料を備蓄し,事務所か自宅のどちらかが機能しなくなっても最小限の事務所機能を保持できるように,自宅にも,一応の事務所機能を保持できるだけの機器類と図書を備え,仕事に必要な情報のバックアップを取っておきました。
そして,もちろん偶然ではありますが,この処置を取った後に,神戸には起こらないと思われていた阪神大震災が発生し,事務所が全壊してしまったのです。しかし,この備えのおかげで,地震直後から,事務所の被災メンバーを自宅に宿泊させ,被災しなかったメンバーと役割分担をしながら分散型で事務所の業務を継続することができました。
そして,この時の経験から,私は,多くの人が「そこまで心配しなくても」というくらいのレベルの心配をすることと,リスクの分散ということを心がけてきました。阪神大震災後は,東京等への出張の際は,必ずペットボトルの水と黒砂糖か氷砂糖の袋を持参するようにしています。そして,弁護士としての業務においても,自然災害を含むリスク管理に関心を持ち,会社法による内部統制システムの導入以前から,リスク管理,特に会社機能の分散(バックアップ機能の強化)を訴えてきました。そして,会社法施行後は,大企業だけではなく中小企業を含めたクライアント企業に,リスク管理の重要性を説き,効果的なリスク管理体制の確立・運用,事業継続計画(BCP)の策定・運用,そして,近時は,CSRの観点からの対応を訴えてきました。そういう意味で,阪神大震災は,私の弁護士としての業務にとっても転機となりました。
ところで,余談ですが,昨年の夏は1994年の時と同じような猛暑で,しかも,新燃岳の噴火・ニュージーランドの地震,しかも,日本各地での小さな地震が頻発し出したことから,私は,阪神大震災の直前の状況に似たものを感じ,東京事務所のメンバーに,1週間分の水・食料,さらに温かいものをとれるように携帯燃料,ビルのドアをこじ開けることができるだけの強度をもったバールと槌の購入を指示し,東京事務所がその一部を備えた直後に,今回の地震が発生しました。このことも全くの偶然の結果ではありますが,私は,不安感に応じた備えの重要性を改めて実感しました。
個人であると会社であるとを問わず,リスクをコントロールするためには,情報を可能な限り収集し,鋭敏なリスク管理意識を持って,少しオーバーと思えるくらいの「備え」をしておくことが重要であると思います。
結局のところ,「リスク管理の要諦は,適度な不安感」にあるということができるかも知れません。