事務管理と費用償還請求
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【事例1】
Aが某マンション(管理組合=B)前を歩行中、同マンション敷地内のゴミ置き場から原因不明の出火を認め、管理人に通報のうえ備え付けの消火器で消火作業中、全治1週間の火傷を負ってしまった。
【事例2】
Cが公道を歩行中、前を自転車で走るDが小石に躓いてバランスを崩したため、あわててDを支えたことでDは転倒を免れたが、Cはその際、足をくじき、全治1週間の捻挫を負ってしまった。
【検 討】
まず、A・Cが傷害を負ったことについて、BなりDに何らの注意義務違反もなかったと仮定します。
その場合、A・Cの行為は、本人(B・D)との関係で、民法第697条の事務管理(義務なく他人のために事務の管理を始めた者)に該当します。
民法第702条第1項は、事務管理の管理者が本人のために有益な費用を支出した場合には、本人に償還請求ができると規定していますが、他方で民法第701条は、委任に関する民法第650条第3項(受任者が自己に過失なく損害を受けたときは、委任者に対して損害賠償を請求できる)を準用していないので、事務管理者が事務管理の遂行中に傷害等を負っても、本人に対し治療費等の損害を請求することができないことになります。
ただ、A・Cはとっさの親切心で勇気ある行動に出て怪我をしたのに、全くその被害の填補を受けられないというのは、あまりにも気の毒です。
この点について、学説としては、
① 管理者が事務管理に当たり損害の生ずる危険を認識したに止まらずその実現を覚悟し計算に入れた場合には、その損害を民法第702条の「費用」に含めてよいとする説(新版・注釈民法(18)295頁)
② 当該事務の管理に当たって当然予期される損害は「費用」に含まれるとする説(我妻・債権各論下巻922頁)
などがあります。
①の説に立つと、【事例1】では、Aが消火活動に際して火傷を負うかもしれないが、それを承知で消火活動を行ったのであれば、その治療費等について本人(B)に対して償還請求ができるという結論となり、【事例2】では、Cがバランスを崩したDを助けようと駆け出した際に、捻挫するかもしれないことを承知のうえであったとすれば、本人(D)に対して償還請求ができるという結論になります。
他方で、②の説に立つと【事例1】では、火災の規模が大きくて、消火作業にあたりある程度の火傷被害がやむを得なかったという事情であれば、本人(B)に対して償還請求ができるという結論になり、【事例2】では、もしもCの支えがなければDが転倒していたという客観的事情がある以上は、本人(D)に対して償還請求ができるという結論になります。
なお、【事例1】については、消防法上、消火活動等によって疾病等が生じた場合、その損害の補償を市町村に求めることができることになっています(同法第36条の3第1項)。
本件のように、AなりCが負った傷害が全治1週間程度のものであれば、BにしてもDにしても、A・Cの勇気ある行動によって火災や自転車転倒などの重大な被害を免れた関係にあるので、治療費の支払についてさほどの心理的な負担はないと思われます。
これに対し、もしもA・Cが死亡したり、重篤な後遺症を伴うような傷害を負ったような場合には、その被害の填補額は大きなものとなり、さすがにB・Dの受容できる限度を超えてしまうおそれがあります。
そのような場合には、A・Cの勇気ある行動が「美談」として新聞報道されたり、消防署・警察による表彰などの名誉評価を受けることで本人やその遺族が称えられることも期待されるところですが、被害の填補については、直截に消防法第36条の3のような補償制度による立法的な救済が望ましいことは言うまでもありません。
人間の本質に根ざす利他的行動を社会全体としてどのように評価し、その具体的な結果についてどのようにフォローしていくべきかという問題は、道徳や宗教、法律などの各分野の交錯する難しいテーマですが、本コラムがその一助になれば幸いです。