「カーマンライン」とは何か?
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1 有人宇宙旅行がいよいよ本格化
米国のヴァージン・ギャラクティック社は、2021年7月1日、商業用サブオービタル機「VSS Unity」による有人のテストフライトを同月11日に実施すると発表しました。同社は、2018年に有人宇宙旅行を成功させていますが、今回のテストフライトでは、創業者であるリチャード・ブロンソン氏を含む4名のミッション・スペシャリストと2名のパイロットが搭乗する予定です。
ご存知のように、ライバル関係にあるブルー・オリジン社は、2021年6月7日、同社のサブオービタル機「New Shepard」に、創業者であるジェフ・ベゾス氏、その弟のマーク・ベゾス氏、オークション落札者の3名が搭乗する同社初の有人宇宙旅行を、同年7月20日に行うと発表したばかりでした。
両社は、これまで、有人サブオービタル機の開発において、ライバルとしてしのぎを削ってきたわけですが、今回のフライトにはいずれも創業者が搭乗し、お互いの威信をかけてミッションに挑むことになります。
2 どこからが「宇宙空間」か?
ヴァージン・ギャラクティック社は、上記のとおり、2018年12月13日に民間企業初の有人宇宙旅行を成功させていますが、この時、「VSS Unity」が到達した最高高度は、51.4マイル(82.7 km)でした。しかし、例えば、月は地球から約384,400km離れていますので、「VSS Unity」が到達した高度は月までの距離の4500分の1以下にすぎないですし、地球の赤道半径は約6370kmですから、「VSS Unity」はその約77分の1の高度にしか到達していないことになります。
このように「宇宙空間」に到達したといっても、地球のスケールと比較すれば、地表すれすれを飛行しているようにも思われます。これで、本当に、「宇宙空間」(outer space)に到達したといってよいのでしょうか。
「宇宙空間」とはどこから始まるのか、という問いに対しては、国際的にも、まだ定まった答えがありません。これは「宇宙空間」というものを、技術的な側面から定義するのか、あるいは、物理的な側面から定義するのか、定義のための基準が定まっていないことが原因であると考えられます。
3 技術的な側面からみた宇宙空間
まず、技術的な側面から見ていきましょう。サブオービタル機である「VSS Unity」は航空機のような形をしていますが、航空機と「VSS Unity」との違いは、前者はジェットエンジン、後者はロケットエンジンを搭載しているという点です。
航空機が空を飛ぶことができるのは、翼と空気の相互作用によって発生される「揚力」(地表に垂直な上向きの力)のおかげです。「揚力」は、空気がなければ発生しません。皆さんは、経験上、高度が高くなればなるほど、空気が薄くなることをご存知かと思いますが、「揚力」も高度が高くなり、空気が薄くなると発生しにくくなります。その場合、ジェットエンジンでは機体が支えられないので、航空機の高度よりもはるか上を飛ぶサブオービタル機はロケットエンジンを搭載しています。
ロケットエンジンを搭載していない純粋な航空機の最高到達高度は37.65kmであるといわれています。「揚力」ではなく大気の「浮力」を利用した気球については、2013年にJAXAが超薄膜高高度気球を高度53.7kmに到達させ、これが現在の世界記録となっています。これらのことから、大気の力を利用した機体の飛行高度の限界は、40~50km程度と考えられます。
一方、より高い高度に位置する人工衛星は、大気の影響を受けることがないため、一定の角速度があれば、地表に落ちることなく軌道上を周回できますが、例えば、高度200kmの軌道上を飛ぶ人工衛星がその軌道を維持するためには、時速約28,000kmの速度で飛び続ける必要があります。速度がこれよりも小さくなると、遠心力が重力に負けて、地上に落ちてきてしまいます。
人工衛星の高度を200kmからどんどん下げていくと、大気を構成する原子や分子などによって人工衛星の進行方向と逆向きの摩擦力が働きます。この摩擦力によりブレーキがかかると、人工衛星は周回軌道を維持できず、地上に落ちてしまいます。運用期間が終わり地球に再突入する直前の人工衛星の軌道は、高度130~140kmとなっていることが多いようです。したがって、これよりも低い高度では、人工衛星は、地球の大気の影響により周回軌道を維持するのが困難であると考えられます。
それでは、技術的な側面から見た宇宙空間の高度はどの程度になるのでしょうか。これまで見てきたように、航空機の高度の上限は約40km、周回軌道を回る人工衛星の高度の下限は約130kmです。このことから、大雑把ですが、これらの中間地点である85kmを、宇宙空間の入り口と考えることができるように思われます。
4 物理的な側面からみた宇宙空間
次に、物理的な側面から見てみると、航空機の飛行高度よりもさらに上の中間圏(mesosphere)と呼ばれる領域(高度50~90km)までは、大気の組成が地上と変わらないことが知られています。これより上にある熱圏(thermosphere)においては、解離した酸素原子が大気の主成分となっています。
ちなみに、熱圏は、プラズマが分子を励起し、基底状態に戻る際に放たれる光がオーロラとなって観測される領域です。中間圏と熱圏との境界を中間圏界面(mesopause. 高度85km~90km)といい、ここを境に大気の組成が大きく変わることが知られています。
大気の組成が変わる高度を宇宙空間の入り口だと考えると、物理的な側面からは、中間圏界面から宇宙空間が始まると考えることできるように思われます。これはちょうど、技術的な側面からみた宇宙空間の高度85kmと概ね一致します。
5 宇宙空間の定義に関する最新の動向
実際に、米国連邦宇宙局(FAA)は、高度50mile(≒80km)を「宇宙空間」であると定義しています。一方、国際航空連盟(FAI)などの他の組織はこれを高度100kmと定義しています。
「カーマンライン」とは、一般にFAIによる高度100kmのことをいいますが、これを最初に導きだしたセオドア・フォン・カルマン博士にちなんでこのように呼ばれています(流体力学の「カルマン渦」でも知られる学者。なぜ「カーマンライン」ついて、「カルマン」ではなく「カーマン」が多く用いられるようになったかは不明)。
冒頭でご紹介したヴァージン・ギャラクティック社は、「VSS Unity」が高度80kmに到達したことから、FAAの定義に従って、「宇宙空間に到達した」と宣言したわけです。一方、国際的なカーマンラインの基準(=100km)からすると、「VSS Unity」はまだ宇宙空間に到達していないことになります。
ところで、2018年にハーバード大学のJonathan C. McDowell博士が、カーマンラインは物理的には80kmと考えるのが妥当であるとする論文(Jonathan C. McDowell, The Edge of Space: Revisiting the Karman Line, Acta Astronautica, Vol. 151 (Oct. 2018))を発表したことで、FAIにおいてもこれまで100kmとしてきたカーマンラインを80kmに見直そうとする動きが出てきているようです。
McDowell博士の論文では、カルマン博士のロジックをさらに発展させ、重力と揚力の比からなるパラメータ(fiducial Karman Parameter)を用いて、80kmという数字を導いています。McDowell博士は、80kmは不変ではなく、太陽活動の変動などにより±5km程度の誤差はあるとしていますが、誤差を考慮にいれたとしても、宇宙空間の境界は、100kmではなく、FAA の定義である80km程度と考えるのが合理的であるように思われます。
6 わが国における有人宇宙旅行の法的課題
最後にわが国の法制度について少し触れておきます。日本には、サブオービタル飛行に関係する法律として、宇宙活動法と航空法の二つがあります。
宇宙活動法は、軌道上の人工衛星の打ち上げなどを規制する法律であり、軌道上を飛行しないサブオービタル機には適用されません。
一方、航空法も、航空機について規制する法律であることから、仮に、サブオービタル機が「航空機」に分類されたとしても、航空機と同じレベルの安全性を担保するための「耐空証明」がなければ飛行できません。このように、サブオービタル機については、現在、わが国の法律上も、ロケットにも航空機にも分類できないまま、これを規制する適切な法律がない状況に置かれています。
今年は、宇宙旅行業界にとっては、ブレークスルーの年となることでしょう。米国では、有人宇宙旅行の本格稼働に向けてすでに法整備が行われていますが、わが国においては、すでに民間によるサブオービタル機の機体開発が行われ、スペースポートの計画も各地で進められているものの、法整備は遅れている状況です。筆者としては、米国に後れを取ることなく、日本国内における有人宇宙旅行の実現に向けた取り組みを速やかに進める必要があると考えています。