第144回 信用される証人/証言とは?〜いくつかの判決書からみた日英の比較〜
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洋の東西を問わず、紛争が訴訟等の紛争解決手続に持ち込まれる場合には、その対象となる事実関係について、両当事者の認識が異なることが少なくありません(身近な例としては、交通事故事案でどちらの信号が青/赤だったか、などという点をご想像ください。)。
このような場合、事案によっては、双方当事者が用意した証人が、同一の事実関係について、全く異なる証言をすることがありますが、裁判所等の判断機関は、請求の当否の結論を出すために、上記の例でいえば信号の色を認定しなければならず、その過程において、双方当事者が出してきた証人の証言のいずれが信用できるかを判断しなければなりません。
この点の判断過程は、判決書にも表されるのが通常であり、当職が経験ないし研究してきたいくつかの事案の中でも、大まかな傾向について感じるところがありましたので、私見の域を出るものではありませんが、整理してみたいと思います。
まず、我が国では、英国に比べて、証言内容そのものに注目する傾向があるように感じられます。このことは、裁判官が、証人尋問の内容を記録した書面を検討しながら判決文を作成していると思われること、また、尋問後に裁判官が交代する場合があり、その際にはこの書面に依拠するほかないことなどが理由ではないかと考えられます。具体的には、証言内容と客観性の高い証拠(物証、書証など)との整合性、証言内容の合理性、自己の過去の供述との矛盾の有無などが判決書の中で検討されることが多いように思われます。
これに対し、英国の判決書の中には、上記のような証言内容ももちろん検討されるものの、証人の証言中の態度にウェイトが置かれているものも少なくないように思います。
特に印象的なのは、英語を母国語としない証人について、書証に表れる英語は流麗なものであるにもかかわらず(陳述書は、紛争顕在化後に弁護士と共同して作成するので流麗となっても不思議ではないのですが)、証言の場では(通訳が入るとはいえ)英語でのスムーズなやり取りがなされなかったことをもって、その証人が、自己に有利な証言をするために工作をしているものと認定し、これを根拠に、その証人の証言の信用性を全面的に否定するような例が見受けられることです。このような例の背景としては、英国の裁判では口頭主義が徹底され、審理においては主張書面も提出されるものの、法廷の場における双方の弁護士と裁判官との口頭での議論が重要視されており、証人についても、口頭での証言が重要視されるという点があるのではないかと思います。
こと日本人に関しては、英語教育において読み書きに比較的重点が置かれてきたことや、日本ではイギリス英語に比べてアメリカ英語に触れる機会の方が多いと思われることなどから、一般的には、(イギリス英語による)口頭でのコミュニケーション能力は、読み書きに比べて劣る傾向があるように感じます。
なお、英国留学中、アジア系の留学生には日本人と同様の、ラテン系の留学生には正反対の傾向が見て取れました。
このような証人の出身地域・国ごとの事情を理解している裁判官や、わかりやすい英語を話す裁判官・相手方弁護士に当たれば、上記のような極端な判断は起きにくいのかもしれませんが、そのような保証はありません。また、イギリス英語と一口に言っても、話者の出身地等によって本当に種々様々であり、中にはノンネイティブには理解しにくいアクセントもあるという事情もあります(この点を裁判官がどの程度認識しているか、もポイントになると思います。)。
上記の、とりわけ英国判例における判断は、当職が垣間見たいくつかのケースでなされたものにすぎませんので、安易に一般化できるものではありませんが、このような事案が存在するということ自体、外国での裁判等に関与する際には、日本ではあまり意識しないような点についても留意が必要となるということを示す一例といえるのではないかと思います。