第171回 渡航の自由と旅券法
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今,世間を騒がせているイスラム国。先日,シリアへの渡航を計画していた男性が,外務省から,旅券法に基づき,旅券(パスポート)の返納命令を受けたそうです。報道によれば,この男性は,外務省からの返納命令を受け,外務省にパスポートを返納したとのことです。旅券法によれば,返納命令には期限が付されており,命令を受けた者がその期限までに返納しなかった場合は,旅券は効力を失うとともに,渡航者は,5年以下の懲役又は300万円以下の罰金に処せられるか,これを併科されることになっています。そのため,返納命令を受けた渡航者は,国に旅券を返納せざるを得なくなります。
返納命令の根拠ですが,旅券法は,旅券の名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合で,旅券を返納させる必要があると認めるときは、旅券の名義人に対して、期限を付けて、旅券の返納を命ずることができると規定しています(旅券法第19条1項4号)。今回の返納命令は,この規定に基づくものであると考えられます。
最近のイスラム国の活動からすると,渡航者がシリアに入れば,イスラム国に捕えられ,その生命に危険が及ぶ可能性は極めて高いと考えられますので,返納命令の要件である「生命又は身体の保護のために渡航を中止させる必要がある」ことは明らかといえます。また,外務省から渡航の中止を促されたにもかかわらず,渡航者が渡航の意思を変えないのであれば,外務省として渡航を中止させるためには,旅券を返納させるしか方法がありませんので,旅券の返納の必要性も認められます。
ところで,返納命令に基づき旅券を返納してしまうと,シリア以外の安全な国であっても渡航できなくなってしまいますから,旅券を返納した渡航者が,その後,別の国に行こうとする場合には,シリアには絶対に行かないことを誓約するなど,返納命令を出す根拠となる事由が解消されたことを証明し,再度旅券を取得する必要があるように思われます。
このような旅券の返納命令を定めた旅券法の規定については,憲法22条2項が保障する外国へ一時旅行する自由との関係が問題になりますが,渡航者から「私は死んでも構わないからシリアに行く。」と言われても,イスラム国に捕まれば,国民を巻き込み自己責任で済む問題ではなくなりますので,旅券法により,外国へ一時旅行する自由を全面的に制限されてもやむを得ないのではないかと思われます。
実は,ほとんど議論されることがない旅券法の規定ですが,過去には,冷戦時代に,社会党の帆足計議員が,旧ソ連の国際会議に出席しようとしたところ,旅券の発給を拒否されたという事件がありました(帆足計事件。最判昭和33年9月10日)。日本人がテロリストから標的にされるようになり,旅券法の規定を発動しなければならなくなったということは,今後訪れるであろう不穏な時代の幕開けを暗示しているようにも思われます。