医薬品の添付文書と医師の義務
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1 はじめに
皆さんは、薬局で風邪薬を買って、中に入っている「添付文書」を読んだことはあるでしょうか?薬の瓶と外の箱の間に小さく折り畳まれた「アレ」です。1回2錠、食後ね、フムフム・・・何となく読み飛ばしていませんか?実は、「アレ」は法律的に非常に大事な存在なんです。
ここから少し難しい話になりますが、修行だと思って、ぜひ最後まで我慢して読んでください。
薬機法(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)は、医薬品の製造販売業者は、一般用医薬品等の消費者が直接購入する医薬品の製造販売をするときは、当該医薬品に関する最新の論文その他により得られた知見に基づき、医薬品に添付する文書または容器もしくは被包に、用法、用量その他使用及び取扱いの上の必要な注意などが記載されていなければならない旨を規定しています(52条)。
この規定に基づいて作成された文書を一般に「添付文書」(能書)と呼んでいますが、令和3年施行の薬機法の改正により、医療用医薬品の製造販売の場合は、「添付文書等記載事項」から「注意事項等情報」に呼び方が変わり、68条の2において、最新の注意事項等情報をネットで公表しなければならない旨が規定されています。医療用医薬品の場合には、医薬品の投与を受ける患者の安全を確保するため、これを使用する医師等に対して必要な最新の情報を提供する目的で、当該医薬品の効能や危険性について最も高度な情報を有している製造販売業者等に使用上の注意等についての速やかな情報提供を義務づけているものです。医学の世界では、1年前の常識が今日の非常識になるといった事態も頻繁に生じていますので、添付文書という紙での提供ではなく、最新の論文内容が反映される電子的な方法による情報提供に変更されたのです。
2 最高裁平成8年1月23日判決
特定の医薬品の添付文書(能書)に記載された用法、用量その他使用上の注意事項等が医師の注意義務の判定にあたりどの程度の重要性をもつのか、という点については、リーディングケースである最高裁平成8年1月23日判決(判例時報1571号57頁。以下「平成8年最判」といいます。)では、「医薬品の添付文書(能書)の記載事項は、当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が、投与を受ける患者の安全を確保するために、これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから、医師が医薬品を使用するに当たって右文書に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである。」と判示されています。
この事案は、虫垂手術中の麻酔事故により脳に重大な損傷を負った原告(当時7歳5か月)がその両親とともに手術を受けた病院を経営する医療法人等に対し、診療契約上の債務不履行等を理由に損害賠償を求めたものですが、ペルカミンS(麻酔剤)を用いた腰椎麻酔を実施するに当たり、添付文書では、麻酔注入後10~15分までは、2分間隔の血圧測定が求められていたのに、担当医は、当時の一般開業医の常識に従い5分間隔の血圧測定を実施し、そのため換気量減少による脳中枢の低酸素状態に気付くのが遅れたという事案でした。
確かに、経験豊富な医師の中には、あえて医薬品の添付文書の記載に従わずに良好な治療成績を上げる事例があることも否定できないところですが、医薬品の危険性については、医師よりも製薬業者等のほうに情報が多く蓄積されていることは疑いありません。医師慣行や裁量を理由に、医師が添付文書を軽視するような態度をとることを許容するわけにはいかないところであり、平成8年最判は、あらためてその趣旨を確認したという点に重要性があるとされています。
3 最高裁平成14年11月8日判決
平成8年最判の流れを受け、最高裁平成14年11月8日判決(判例時報1809号30頁。以下「平成14年最判」といいます。)では、「向精神薬の副作用についての医療上の知見については、その最新の添付文書を確認し、必要に応じて文献を参照するなど、当該医師の置かれた状況の下で可能な限りの最新情報を収集する義務があるというべきである。本件薬剤(注:フェノバール)を治療に用いる精神科医は、本件薬剤が本件添付文書に記載された本件症候群(注:皮膚粘膜眼症候群)の副作用を有することや、本件症候群の症状、原因等を認識していなければならなかったというべきである。」「当時の医学的知見において、過敏症状が本件添付文書(2)に記載された本件症候群に移行することが予想し得たものとすれば、本件医師らは、過敏症状の発生を認めたものであるから、充分な経過観察を行い、過敏症状又は皮膚症状の軽快が認められないときは、本件薬剤の投与を中止して経過を観察するなど、本件症候群の発生を予見、回避すべき義務を負っていたといわなければならない。」と判示されています。
この事案は、精神病院に入院中に治療のため複数の向精神薬の投与を受けていた原告が、これらの薬剤の副作用によって皮膚粘膜眼症候群(スティーブンス・ジョンソン症候群。結膜炎・角膜潰瘍・眼瞼浮腫等の眼病変が出現する。)を発症し失明したとして、医師等に対し不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償を求めた事案ですが、投与された薬剤のうちフェノバール(フェノビタール製剤。催眠・鎮静・抗けいれん剤)の投与に関する医師の注意義務違反の有無が問題となりました。
フェノバールの添付文書では「使用上の注意」の「副作用」の項に「(1)過敏症:ときに猩紅熱(しょうこうねつ)様・蕁麻疹・中毒疹様発疹などの過敏症状があらわれることがあるので、このような場合には、投与を中止すること、(2)皮膚:まれにスティーブンス・ジョンソン症候群(皮膚粘膜眼症候群)、ライエル症候群(中毒性表皮壊死症)があらわれることがあるので、観察を十分に行い、このような症状があらわれた場合には、投与を中止すること」と記載されていましたが、担当医は、「過敏症」の症状は認めたものの、「皮膚症状(スティーブンス・ジョンソン症候群)」を認めなかったため、患者に対するフェノバールの投与を継続し、結果的に皮膚粘膜眼症候群による失明に至ったものです。
平成14年最判は、スティーブンス・ジョンソン症候群の発生原因としては、アレルギー性機序が働くものと考えられており、発疹の大半がアレルギー性機序によって発症すること、アレルギーの関与する種々の類型の発疹が相互に移行し合う関係にあることは一般の開業医にも入手可能な情報であったとして、過敏症状を認めた医師は、皮膚症状への移行を予測して、充分な経過観察を行い、過敏症状等の改善が認められないときには、フェノバールの投与を中止するなど、スティーブンス・ジョンソン症候群の発症を予見し、回避の措置を講ずるべき義務を負っていたと判示しています。
つまり、平成8年最判では、医薬品の添付文書の記載に従わなかったことの注意義務違反が問題とされていたのに対し、平成14年最判では、一歩進んで、添付文書の記載から、医師には、より加重された予見義務・結果回避義務が求められているということになります。
もとより、特定の医薬品が対象としている疾病や効能、副作用等、添付文書の内容から、医師が将来の疾病の発生機序をすべて予見することまでが要求されているわけではありませんが、医師側では、かなりインパクトの強い判例ということができます。
4 適応外使用
一般用医薬品等の添付文書には、用法・用量・取扱い上の注意のほか、成分や効能・効果(有効性)が記載されています。胃が痛いときに風邪薬を飲む人はあまりいないと思いますが、そもそも医薬品は、承認された効能・効果(対象疾病)や用法・用量で使用することが前提として製造販売されているものです。同じく、医療用医薬品の場合も、承認された効能等以外の効能等で医師が処方しても、原則として保険適用されないこととなっています(適応外使用・適用外使用)。これは、適応外使用においては、その有効性だけでなく、用法上の安全性についても一義的な判断基準がなく、効能や危険性について正しく判断することができないという理由に基づきます。
現行法上、医師が特定の医薬品について承認された対象疾病以外の患者に対して適応外使用を行うことを禁ずる直接的な根拠はありません(なお、薬機法68条は、承認されていない医薬品の名称、製造方法、効能、効果又は性能に関する広告を禁止しています)。
判例上も、下級審ながら、医師による医薬品の適応外使用に対して、厳格な注意義務を課しているものではなく、例えば東京地裁平成16年4月27日判決(判例タイムズ1211号214頁)は、「医師が行う治療の内容は、その性質上医師の合理的裁量にゆだねられているというべきである・・・医薬品の添付文書に記載された事項は、原則としてこれを遵守しなければならないが・・・これは絶対的な要請であるとまでいうことはできない・・・適応外使用であるという一事のみをもって直ちに注意義務違反と断ずることはできないというべきである」としていますし、大阪地裁平成28年3月15日判決(判例タイムズ1424号218頁)も、「医薬品を適応外使用したことは、医師の過失の有無をより慎重に判断すべき事情の一つになり得るものの・・・それにより医師の過失が推定されるとはいえない。」としています(ただし、両判決ともに、薬剤の投与方法等に過失があったものとして、結論的には病院側の損害賠償義務を認定しています)。
確かに、医薬品の製造販売業者は、患者が特定の効能・効果を得るために使用する場合を想定した検証(臨床実験の実施や論文の収集等)の結果を踏まえて注意事項等情報を公表しているものの、適応外使用を行う場合を想定した検証はしておらず、適応外使用の際における注意事項等情報には言及していないから、そもそも過失が推定される前提を欠くという上記大阪地裁判決の論旨にも一理あります。
ただ、前記の平成8年最判や平成14年最判において示された「添付文書(注意事項等情報)重視」の傾向からすると、「添付文書(注意事項等情報)は適応外使用を想定していない」という理屈だけで、医師の裁量の幅を広く認定することには疑問があり、今後、医師が特定の医薬品の注意事項等情報として公表された対象疾病以外の患者に対して適応外使用を行って患者の症状の悪化等を招いたような場合、最高裁が医師側の注意義務違反の基準を厳しく設定する可能性も否定できないように思われます。