第224回 老兵は死なず,ただ消えゆくのみ
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以前の三瀬弁護士のコラム(第222回「終末期医療と人工呼吸器の取外し」)を読んでいて,不謹慎ながら,つい頭の中によぎった言葉があります。意識不明の患者さんが人工呼吸器を付けられて延命している。人格が消えても生命体としては生き続けている。人間として「消える」ということと,「死ぬ」ということとは違うのか。そうです。マッカーサーのあの有名な「老兵は死なず,ただ消えゆくのみ」というフレーズです。
先日も,自民党の谷垣前総裁が2016年7月に趣味のサイクリング中に転倒して,頚髄損傷により党幹事長の職を辞し,約2年3か月ぶりに公の場に車いすで姿を見せ,次期参院選での政界復帰について問われた際に「老兵は死なず消えゆくのみ」と述べて現段階での政界復帰を否定しました(2018.10.31)。
このフレーズは,日常的に,偉い人が引退するときによく引用する言葉で,「引退の理由は?」と尋ねられた際に,「まあ,色んな事情はあるが,要するに老兵は死なず消えゆくのみだよ」という「潔い引退」のニュアンスで語られることが多いように思います。
マッカーサーは,当時のトルーマン大統領に国連軍司令官を解任された後,1951年4月19日,米議会で退任演説を行い,演説の最後に,若い頃,兵士の間で流行していた風刺歌の中の「Old soldiers never die, they just fade away」という一節を引用して,有名になりました。もとになった風刺歌は,下っ端の兵士の食生活の貧しさと訓練の厳しさを嘆いたもので,前後の文脈を総合すると「老いぼれ兵たちは戦場で死ぬことはなく(去っていく),最前線で死ぬのは自分たち若者だけだ」というような意味になりますが,マッカーサー自身がどれだけこの一節に自分の思いをこめたのかは,今となっては不明です。
マッカーサーは,このフレーズに続けて「私は,あの歌の老兵のように今,軍歴を閉じて,ただ消え去っていく。神の示すところに従って自らの任務を果たそうとした一人の老兵として。さようなら」と演説を終えています。「あの歌の老兵のように」と言っている以上,自らを「戦場で死に損なった老いぼれ兵」と自嘲気味に表現しているようにも見えますが,逆に「これだけ功績をあげた自分を老いぼれ兵と呼ぶのなら,勝手に呼べ」というような,トルーマンに対する半分逆切れ,半分皮肉めいた,軽い気持ちだったのかもしれません。
問題はここからですが,偉い人の有名な発言というのは,最初の発言の趣旨を離れて独り歩きを始めることがあります。「老兵は死なず」も同様で,色々な人が色々な意味合いで用いる事態となりました(ちなみに,以下の「解釈」は,法律的な検証に値するレベルのものではありません。弁護士という人種は,いかにくだらないことにも無駄に興味を抱いてしまうのかという問題を考える際の一助にしていただけると幸いです)。
まず,第1説は,マッカーサー演説の全体の趣旨に従い,「自分が若き日に,歌の中で『生き延びた老いぼれ兵』と馬鹿にしていたその老兵に,いつの間にか自分もなってしまった。ならばその歌詞のとおり,自分も第一線から身を引こうではないか」という自虐的な意味に理解するものです。いわば「立法者意思」に従った解釈です。ただ,これを日本語に訳す場合には,引用された風刺歌の前後の部分がすっ飛ばされているため,「死なず」(生き延びた)の部分が宙に浮いてしまい,聞く側としては,明らかに説明不足の感が否めません。
第2説は,マッカーサー演説を背景にしつつも,日本語として,このフレーズを形式的・文言的にどう捉えれば最も合理的になるかを重視する解釈手法で,「私はまだ死んでいないし,まだまだ元気だが,諸般の事情で引退する」という意味に理解するものです。ここにいう「諸般の事情」の中には,後進に道を譲るという理由もあるでしょうし,政争に敗れ涙ながらに退場するという場合もあるでしょうが,いずれにしても引退理由を軽々しく語るのは嫌だという気持ちがこめられています。おそらく多くの企業トップの引退会見の際に頭の中にあるのは,この意味ではないかと思います。最初に「死なず」というインパクトでぶちかましておいて,潔く引退してやるよ,という少し恩着せがましいニュアンスにも聞こえなくはありません。なお,この説の発展形としては,「俺は引退してやるが,今後も死ぬまで影響力を保持し続けるから,くれぐれも俺を邪険に扱うなよ」という脅しめいた趣旨が含まれている場合もあります。
第3説は,「死なず」というのを肉体的な死のことではなく,存在感の消滅(よく「あの人はもう終わってるね」と言う場合に近いニュアンス)の意味に解釈するもので,「私は引退するが,その功績は消えるものではなく,人々の心の中で生き続けるのだ」というような自己満足的な匂いがあります。立法者意思からはかなり距離のある解釈ですが,聞く側の納得感という意味では,これはこれで,一定の説得力のある解釈です。
このように,「老兵は死なず」は,本来の日本語の意味からは,単に「死ななかった老兵は消えゆくのみ」という解釈しかできないはずですが,わざわざ「死なず。」と「消えゆくのみ。」という2つの文節に分けられていて,前段の「死なず」のインパクトが強いため,種々の場面で,語る側,聞く側で色々な解釈ができ,しかも「それってどういう意味ですか?」というような無粋な質問を受け付けないような毅然とした響きがありますので,とても便利な表現です。
前掲の谷垣前総裁の「老兵」発言については,「不慮の事故で大きなケガを負ったものの,何とか生き延びましたが,引退します」という,ある意味でマッカーサーの自嘲的な「立法者意思」に最も近い解釈ということになります。さすが元法務大臣。感服いたしました。