自治体職員に求められる法的思考~法律による行政の徹底~
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1 はじめに~法的思考とは何か?~
「法的思考」は「リーガルマインド」と呼ばれることがありますが、「マインド」と聞くと何か精神論やセンスのようなものをイメージされるのではないでしょうか。
筆者は、法的なものの考え方は決して精神論やセンスではなく、訓練によって身につくものと考えているため、本コラムでは、あえて「法的思考」という表現を用いることにします。
この「法的思考」は、自治体職員にとって重要性の高いスキルと考えられます。
なぜかというと、それは、「法律による行政の原理」があるからです。
この原理は、行政は法律に従わなければならないというもので、日本では法治主義とも言われ、日本行政法の基本原理の1つと考えられています。
行政の担当者である自治体職員が法律に従うということは、①現実に生じた事実を、②関連する法律の要件(法律要件)にあてはめて、③当該法律上の効果(法律効果)を導き出し、④法律効果に従って行政実務を遂行することを意味すると考えられます。
本コラムでは、このような実務の流れのうち、①から③までのプロセスの実践を「法的思考」と呼ぶことにします。
つまり、「法的思考」は、「法律による行政の原理」の実現に不可欠な要素というわけです。
2 法的思考のポイント①~事実ありき~
法的思考にあたっては、法律の要件やその解釈といった問題の前に、まず「事実」を確定することが大事です。
では、法的思考で言うところの「事実」とは一体何を意味するのでしょうか。
それは、「証拠によって裏打ちされた事実」を意味します。
つまり、誰かがそのように言っているというだけではなく、その言っていることについて何らかの裏付け、つまり証拠がなければ、法律要件にあてはめる際の「事実」としては認められないということがポイントです。
たとえば、ある人が窓口に来て、「私は中村だ。だからこの住所の中村の住民票を交付してほしい。」と言った場合、当該中村さんにとっては、自分が当該住所に住む中村であることは真実であるかもしれません。
しかし、窓口で対応する自治体職員にとっては、目の前に立っている人が、そもそも本当に中村さんという名前なのか否かについてすら明らかではありません。
そこで、本人確認のため、免許証やパスポートなどの公的な証明書(証拠)を確認し、当該証明書の記載事項と、申請書類の記載事項および本人の人相などを照らし合わせて、確かに当該住所に住む中村さんであるということが確認できてから住民票を交付することになります。
この一連の作業は、住民票交付のために必要な「事実」を確定するために行っているといえます。
このように、法的思考にあたっては、証拠の裏付けなく憶測によって事実を認定してはならないことに留意が必要で、別言すれば「証拠の裏付けがない事実を認定してはならない」という点がポイントとなります。
なお、法的思考のプロセスにおける「事実」に関連するポイントとして、もう1つ「事実の評価」の問題がありますが、この点については筆者の別稿「実践リーガルライティング」(アカデミア第134号(2020年)8頁以下。https://www.jamp.gr.jp/wp-content/uploads/2020/06/134_03.pdf)を参照いただければ幸いです。
3 法的思考のポイント②~法の解釈~
法的思考に必要な「事実」が認定された場合、次に必要となるのが関連する法律の要件(法律要件)へのあてはめです。
比較的わかりやすい法律要件であれば、証拠をもって適切に事実認定が行われる限り、当該事実を法律要件にあてはめて法律効果を導き出すという法的思考のプロセスに大きな支障が生じることはありません。
しかし、必ずしも法律要件が明確とは言えない事例もあります。
自治体職員の懲戒処分の例をとって考えてみます。
Aさんが、上司による何らかの職務命令に違反した(地方公務員法第32条違反)としましょう。
この場合、Aさんの懲戒処分の根拠となる法令は、地方公務員法第29条第1項です。
懲戒処分をする側(自治体)からすれば、この事案における懲戒処分に至る法的思考は、それほど複雑ではありません。
すなわち、「事実」としての職務命令違反があり、当該事実が証拠をもって認定できれば地方公務員法第29条1項の「法律要件」にあてはめて、「法律効果」として、戒告、減給、停職又は免職のいずれかが導かれるということになります。
では、懲戒処分を受けたAさんは、このような法的思考を経てなされた具体的な懲戒処分が「違法」であると主張するために、どのような法律要件を設定すればよいのでしょうか。
この点について、地方公務員法第29条第1項の規定をいくら眺めても、どのような場合に懲戒処分が違法になるのかのルールを見出すことはできません。
そこで必要になるのが、法の解釈です。
そして、法の解釈を示す公的機関が裁判所なのです。
したがって、法の解釈が必要な場合には、原則として裁判所の示した解釈(裁判例)を参照することになります。
とはいえ、すべての法について裁判所が解釈を示しているわけではなく、事案によっては参照すべき裁判例がないということもありますが、まずは、「法の解釈に迷ったら裁判例を参照する」という原則を覚えておいていただければと思います。
では、上記の事案において、裁判所は、どのような場合に懲戒処分が違法と解釈しているのでしょうか。
この点について、裁判所は、以下のように述べています。
「公務員に対する懲戒処分について、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の上記行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを決定する裁量権を有しており、その判断は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと認められる場合に、違法となるものと解される。」(最高裁判所第一小法廷平成24年1月16日判決 (最高裁判所裁判集民事239号253頁))
つまり、公務員の懲戒処分が違法であると主張するための法律要件は、以上の裁判所による法の解釈に基づくことになります。
このように、法的思考のプロセスに含まれる法律要件は、必ずしも法律の条文そのものというわけではなく、場合により、裁判所による法の解釈を参照して設定する必要があることに留意が必要です。
4 おわりに~法的思考の訓練方法~
法的思考は奥が深く、筆者自身、まだまだ未開拓の部分がありますが、「法律による行政の原理」に照らし、自治体職員が法的思考を身につける重要性は高いと考えられます。
法的思考を身に着けるための訓練方法には様々なものが考えられますが、筆者のお勧めは、判決書を読むことです。
自治体を当事者とする裁判例は多数ありますが、裁判所のウェブサイトにある裁判例情報(https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/search1)(無料・用語検索可能)などを活用すれば、手軽に自らの職務に関連する判決書を読むことができます。
判決書には、結論部分である「主文」と、結論を導き出す「理由」の記載があり、この「理由」部分では、当該事案における担当裁判官の法的思考が展開されています。
筆者は、「法的思考のプロ」ともいえる裁判官の考え方に触れながら、法的思考の特徴を理解していくことが、法的思考を身に着けるための訓練方法として効率的なのではないかと思っています。
なお、筆者が講師を務めさせていただく研修では、「法的思考」よりも、「リーガルマインド」を冠する方が多いですが、本コラムに書かせていただいたような内容を、演習も取り入れながら取り扱っています(詳しくは、当事務所「弁護士紹介」の筆者プロフィールの「セミナー・講演」をご参照ください)。
結びに、本コラムの読者が、自治体職員として、法的思考の必要性とその概要をご理解いただけたのであれば、筆者にとってこれに勝る喜びはありません。