最新ニュースから学ぶ米国の法制度⑤(量刑・司法取引・陪審制)-水原一平さん違法賭博問題-
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さて、日本時間の4月12日に水原さんが銀行詐欺罪の疑いで起訴されました。今回検察官から“Criminal Complaint”が提出されましたが、そもそもこの“Criminal Complaint”が何なのか、という点については、また次回以降のコラムに稿を譲ることにしたいと思います。
本シリーズ①のコラムでも書きましたが、メディアへの発言のうち、限られた時間や紙面では自分の言葉が正確に伝えられない、また独り歩きしている部分があると感じているので、本コラムで自分の考えをまとめたいと思います。
1 連邦法違反の量刑の決め方
連邦法違反の犯罪についての量刑については、かなりシステマティックに算定されています。アメリカ量刑委員会(UNITED STATES SENTENCING COMMISSION)という機関がアメリカ量刑ガイドライン(SENTENCING COMMISSION GUIDELINES MANUAL)というものを毎年発行しています。このガイドラインは、連邦法違反の犯罪に対する量刑を決めるために発行されているものであり、600頁を超える非常に大部な資料になっています。2005年までは裁判所はこれに従う必要がありましたが、United States v. Booker事件において、同ガイドラインを強制的に適用することは、陪審員による裁判を受ける憲法修正第6条の権利を侵害するものであるとして、現在はあくまで参考資料という位置づけになっています。しかしながら、現在においても実務上は量刑の算定に当たって重要な資料です。
ガイドラインは、主に2つの要素に基づいて量刑を決定することになります。縦軸を犯罪レベルと横軸を犯罪歴とする量刑算定表で当該犯罪の妥当な量刑の範囲を決めていくことになります。犯罪レベルとは、犯罪の性質や被害の大きさ等を数値化したもので、最大がレベル43となっています。
例えば、詐欺に関する量刑を見ると、詐欺にかかる犯罪のうち、最長20年以上の禁固刑が準備されているものは「レベル7」、被害額が950万ドル以上のものは「レベル20」になります。そうすると950万ドル以上の詐欺罪については、合計「レベル27」になりますから、量刑算定表によると、前科がない被告人に課せられる刑は70か月から87か月ということになります。
2 そもそも水原さんの量刑を予想するのは無意味
こういうことを書くと「村尾弁護士によると水原氏に課せられる罪は禁錮6年~7年である」などと勘違いされてしまうかもしれませんが、そんなことを言うつもりは全くありません。ガイドラインは600頁を超えるもので、そのほかに考慮すべき事情や情状などもあり、簡単に決められるものではありません。全ての事実関係が明らかになっていないのに、量刑を予想するのは不可能ですし、そもそも意味がないことだと個人的には思っています。不確かな材料で5年だ、いや10年だというのは、それこそ「丁半賭博」と変わらないのではないでしょうか。私としては、このようなスタンスでお話ししているものの、「最高30年の禁錮刑が有力!」等と、あたかも私が量刑に関し断定的な見解を述べたかのようなタイトルのこたつ記事もインターネット上に存在するようです。全くお話したことのない内容が記事になっており、またそのタイトルが大きな誤解を招く記載になっており、非常に驚いております。本件に関心をもって情報収集をいただいている皆様にはご注意をいただくとともに、メディアの皆様におかれましても、発行する記事の内容にはご留意をいただきたいと思います。
3 司法取引という言葉
さて、今回、水原さん側は検察と「司法取引」を進める方針であることがニューヨークタイムズ紙で報じられました。この司法取引という言葉が曲者で、最初にこの言葉を聞かれた皆さんは「違法賭博の胴元であるボウヤ―氏の情報提供と引き換えに減刑を求めるのだろう」と思ったのではないでしょうか。確かに日本で2018年に導入された司法取引は、この情報提供型の類型です。またアメリカにも同じように情報提供と引き換えに減刑や不起訴を求める司法取引はあります。ニューヨークタイムズ紙の題名を引用すると“Ohtani’s Former Interpreter Is Said to Be Negotiating a Guilty Plea”「大谷の元通訳がGuilty Pleaで交渉中と報じられる」と書かれています。Guilty Pleaを直訳すると「有罪答弁」です。水原さんが交渉の材料として差し出しているのは有罪答弁、ということになります。わかりにくいので、もう少し説明すると、水原さんは、罪状認否で有罪答弁をすることと引き換えに減刑を求めている、ということになります。
これを聞いた皆さんはおそらく「それって単なる自白じゃないの?」と思うかもしれません。日本ではこのような有罪答弁型司法取引というのはありません。このような「自白」自体が取引材料として機能するのは、アメリカが陪審制を採用していることに起因しています。
4 お金も時間もかかる陪審制度
アメリカでは、合衆国憲法修正第6条において、被告人において陪審による刑事裁判を受ける権利を保障しています。日本でも裁判員制度は存在しますが、アメリカは(連邦事件においては)軽微な事件を除き、基本的に陪審員による裁判が予定されています。陪審員は、有権者登録や運転免許登録等から無作為に抽出されます。米国市民でないと参加する権利はありませんが、運転免許登録をしていれば通知書が届く可能性があり、米国在住中には日本国籍である私にも実際に届いたことがあります。市民権でのスクリーニングをせず、運転免許登録のみで通知書が送付されるあたりアメリカらしいなと思った記憶があります。
陪審裁判というのは非常に時間もお金もかかります。裁判所、検察、弁護人の間でどのような証拠を陪審員に見せるか、専門用語をどのように定義づけるか、陪審員に事件の争点をどのように説明するか等、法的知識のない市民が理解できるよう事前準備が綿密に行われます。そのうえで、陪審員を呼び、選定手続や実際の審理、評決となると人的なリソースや各陪審員への日当等、様々なコストがかかります。アメリカの弁護士は、刑事事件については、成功報酬で受任してはいけないことになっていますから、報酬は時間給(タイムチャージ)で支払われることになります。陪審員裁判となると、準備に相当な時間をかけますから、当然その分費用もかなり大きいものになります。陪審員裁判は、検察(国)にとっても、被告人にとってもお金と時間がかかる手続なのです。
5 検察が負う「リスク」
アメリカの陪審員裁判の評決は基本的に全員一致である必要があります(11人以上で構成される陪審員裁判の場合には例外はありますが、割愛します)。つまり陪審員12人のうち11人が有罪と認定しても、1人が反対すれば、有罪判決が下ることはありません。その場合には、評決不成立となり、検察官は、再度の審理を求めるか、その時点で訴追を諦めて、起訴を取り下げることになります。場合によっては、このタイミングで有罪答弁取引を行うこともあります。また、検察にとって最悪のシナリオは、陪審員全員が無罪と考えた場合です。この場合には、検察側は控訴する権限がなく、その時点で無罪が確定します。このように、法的知識を持たない市民、しかもどのような属性の人が参加するかわからない中で全員に有罪という認定をしてもらう必要があり、検察にとっても結果の予測が難しい手続ということになります。
6 有罪答弁取引により陪審のコストとリスクを省略できる
ここまで述べてきた通り、陪審員裁判というのは検察、被告人サイド双方にとってコストがかかり、かつ、リスクもあるシステムです。そこで、有罪答弁取引、すなわち被告人が「陪審員裁判を受ける権利を放棄し、有罪を認める」ことでこれらのコストとリスクを回避し、検察側は確実な有罪の獲得、被告人側は減刑という双方にメリットのある結果を得られることになります。陪審制のもとでは、単なる「自白」が交渉材料になるということです。
7 陪審員裁判もビジネスチャンスに!
さて、このような陪審員裁判の「不確実性」を商売のネタにしている人がいます。陪審員コンサルタントと呼ばれる職業です。まず、陪審員というのは一般市民から選ばれますから、法的知識がない人にも訴えかけるようなプレゼンテーションをする必要があります。また、服装や立ち振る舞いの印象も重要です。陪審員コンサルタントは、裁判当日の立ち振る舞いや服装、話し方などについて、リハーサルを行い、陪審員に「この人ならコミュニティのメンバーとして戻ってきてもらっても問題はない」と感じてもらえるようアドバイスを行います。さらに陪審員裁判では、一定数の陪審員を拒否する権利を弁護人、検察官側双方が持っています。犯罪類型や被告人のバックグラウンドによりどのような人種、年齢層、性別の人を陪審員として選ぶかの意見を述べます。選ばれた陪審員のプロフィールを知ることも重要ですから、この調査も彼らが行います。陪審員裁判当日も“Shadow Juries”(影の陪審員団)を傍聴席に座らせ、事件の進行の印象を聞くこともあります。Shadow Juriesとは、陪審員コンサルタントが雇った年齢や人種、性別の構成が実際の陪審員に近い一般市民です。この影の陪審員を傍聴席に座らせ、休憩時間や裁判終了後にフィードバックを受けることで細かな修正や以降の裁判期日における戦略を練る材料とするわけです。当然、これらのサービスはビジネスですから、かなり金銭を必要とします。刑事裁判もお金を持っている方が有利に進められるというのは資本主義大国のアメリカらしい話ですね。
8 陪審員コンサルタントが大きく活躍したOJシンプソン事件
陪審員コンサルタントが活躍した事件として一番有名なのは、OJシンプソン事件でしょう。NFLのスターであるOJシンプソンの妻が殺害された事件で、OJシンプソンが殺人容疑で陪審員裁判にかけられました。この際に活躍したのは陪審員コンサルタントであるJo-Ellan Dimitriusでした。彼女は、陪審員の選定にあたって、黒人の人数が多くなるよう選任権を行使することを助言し、12人中9人を黒人とする陪審員構成とすることに成功しました。結果的にこれが功を奏し、OJシンプソンは、無罪を勝ち取ることに成功しました。この事件でOJシンプソンが弁護士費用やコンサルタント費用として費やした金額は、数百万ドルと言われています。その後、遺族から訴えられた民事訴訟では敗訴することになりますが、刑事事件で組んだドリームチームと呼ばれる弁護団・コンサルチームに支払うお金が捻出できず、民事事件では雇えなかったことが敗因であるとも言われています。このエピソードからも陪審員コンサルタントがいかに重要な役割を果たしているかが分かると思います。
以上