公共契約・入札等における人権侵害企業の排除
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1 企業活動における人権尊重の取組
企業活動における人権尊重の問題は、古くて新しいテーマですが(2021.7.6コラム「企業に求められるSDGs達成のための人権デュー・デリジェンスとは?」)、2011年に国連人権理事会において「人権尊重責任」が全会一致で支持されたのを受け、わが国においても2022年9月、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下「ガイドライン」といいます。)が策定され、「事業活動を行う主体として、企業には、人権を尊重する責任がある。企業の人権尊重責任は、企業が他者への人権侵害を回避し、企業が関与した人権への負の影響に対処すべきことを意味し、企業の規模、業種、活動状況、所有者、組織構成に関係なく、全ての企業にある。」とされました(ガイドライン4頁)。さらに、経産省は2023年4月、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料」(以下「実務参照資料」といいます。)を公表し、ガイドラインにおいて求められている人権方針の策定や人権デュー・ディリジェンス(以下「人権DD」といいます。)についてのポイント等を示しています。
2 国・自治体の公共契約・入札等へのガイドラインの導入
他方で、国や自治体においても、公共事業や物品調達の入札等、企業との契約場面で、人権に配慮した企業を優遇する仕組みを作るべきだとの考慮から、政府が2023年4月に開催した「ビジネスと人権に関する関係府省庁連絡会議」において、人権問題への取組みの有無を評価対象に加えることにより、ビジネスの現場で導入が進む人権への配慮の視点を欧米主要国並みに引き上げることを決定しました。具体的には、ガイドラインに基づき、公共調達の入札説明書や契約書等において、調達先でガイドラインを踏まえて人権尊重に取り組み、人権侵害の有無を点検する人権DDの実施等を求める旨の記載等の導入を進めるという内容になっています( https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/business_jinken/dai7/siryou4.pdf )。
現時点では、単に「人権尊重に取り組むよう努める」旨の記載だけで足りるのか、さらに進んで、取組をしない企業の排除、具体的には公共契約の解除や入札参加資格の停止等までを想定しているのか、については、今後の全国的な動向を見ないと判断できませんが、将来的には公共契約等における反社条項(反社会的勢力の排除に関する条項)や談合禁止条項(談合等の不正行為に関する特約)のような取り扱いが一般的になる可能性があります。
ただ、一口に「人権侵害」とは言っても、その程度や範囲については、事案ごとに区々であることから、実際にどの程度の人権侵害事実があれば、公共事業や物品調達の入札からの排除を検討すべきか、についての統一的な基準を設けることは困難です。この点、ガイドラインにおいては、企業が尊重すべき「人権」の範囲として、強制労働や児童労働に服さない自由、結社の自由、団体交渉権、雇用および職業における差別からの自由、居住移転の自由、人種・障害の有無・宗教・社会的出身・性別・ジェンダーによる差別からの自由を例示しており(ガイドライン7~8頁)、一応の参考基準となります。
次に、人権侵害の深刻度の判定基準として、①規模(侵害の態様や被害者の状況等)、②範囲(被害者の人数等)、③救済の困難度(補償または被害回復による救済等)が掲げられており(ガイドライン20頁)、例えば、①については、生命侵害のほうが名誉侵害よりも重大・深刻であることは論を俟たないところです。また、②については、旧ジャニーズ事務所の性加害問題に端を発した昨年来のNHK紅白歌合戦への同事務所所属のタレントの出演依頼の見合わせの事例のように、人権侵害の被害者が数百人規模にも及ぶような場合には、取引解消に匹敵するだけの深刻度が認められるというのが一般的な感覚ではないかと思われます。
ガイドラインの求める人権DDの中身としては、①人権方針の策定・公表(実務参照資料3~6頁)、②侵害特定・評価、③教育・研修の実施、④社内環境・制度の整備(例:ワークシェアリング、バリアフリー、労働安全管理体制、差別防止、LGBTQ配慮)、⑤取引先・下請等の管理、⑥モニタリング(例:タイムカード管理、アンケート、ストレスチェック等)、⑦外部への情報公開(例:ウエブサイト、年次報告書、サステナビリティレポート等)、⑧苦情処理メカニズムの整備(例:苦情受付、内部通報、ステークホルダーとの対話、専門家活用等)などが掲げられています(実務参照資料7~14頁)。
3 クリアすべき問題点
自治体の行う公共事業・物品調達の入札や契約等において、相手方企業に対して上記のようなガイドラインに基づく人権尊重の取組(人権方針の策定→人権DDの実施→救済措置)を求めようとする場合、次のような問題点があります。
(1) 取引停止による損害賠償請求のリスク
まず、政府の言うように「人権への配慮の視点を欧米主要国並みに引き上げる」というのは、テーマとしては簡明ですが、実際に取引の相手方企業において人権DDに欠陥があったり、不幸にして深刻・重大な人権侵害が発生したような場合に、自治体側で入札参加制限や契約解除等の具体的な対応措置を講じることができるのか、という問題があります。
この点につき、ガイドラインは、直ちに取引を停止するのではなく、まずは取引先との関係を維持しながら人権侵害を防止・軽減するよう努めるべきであって、取引停止は最後の手段であるとしています(同22頁)。また、取引を停止する場合には、それに至る段階的な手順を取引先との間で明確にし、可能であれば取引先に対して取引停止に関する十分な予告期間を設けるなどの措置が必要だとしています(同23頁)。
実際にも、国や多くの自治体においては、指名停止等の要件を定めていますが(例えば法務省の「工事請負契約に係る指名停止等の措置要領」)、措置基準事由として、虚偽記載、粗雑工事、契約違反、事故発生、贈賄、独禁法違反行為、入札妨害・談合、建設業違反、不正・不誠実行為等が掲げられています。これに対し、企業における人権尊重の取組の不備等は、これらの既存の措置基準事由と比較して、明確性や具体性に欠ける点は否めず、実際の運用場面で果たして画一的な線引きが可能なのかという問題があります。すなわち、「人権DDの実施に当たっては…各企業の規模、事業内容、活動分野、影響力、活動地域、ステークホルダーの性質、企業が及ぼしている人権への影響等の要素を考慮しながら、継続して実施されるべきもので、『どこまでやれば十分』という明確な正解があるわけではない。…そもそも『ここまでやれば十分』という発想自体が国連指導原則等に基づく人権尊重の取組の根本的な考え方とは相容れにくいことを理解することがスターティングポイントになる」とも言われており(「人権DDガイドラインを踏まえた人権尊重の取組の実践知」NBL1234号30頁)、取引停止等に当たっての画一的な判断基準の設定は、およそ困難であると言わざるをえません。
しかも、仮に入札参加制限や契約解除が違法と解された場合の、相手方企業からの損害賠償請求において、損害の範囲がいわゆる実損(積極損害)だけでなく将来の逸失利益(消極損害)や当該企業の信用失墜に基づく損害までを主張されると、請求額が大きくなる可能性があります。もしも契約条項の中に、取引停止に基づく損害賠償の範囲を、委託者側の行為と直接の因果関係のある積極損害に限定する等の条項を設けることが可能であるのであれば、その検討も必要と思われます。
(2) 企業活動への不当介入の問題
そもそも企業活動は、各社の営業の自由の範疇に属し、法令による制限によらない限り、経営者の合理的な経営判断に委ねられ、単に取引先だという理由から自治体が不当にこれに介入することは許されないのではないかという議論があります。
これに対しては、公共事業や物品調達の入札を希望する者に対し、その承諾を得た場合に限って人権DDの履行等の措置を求めるものなので、企業の自律的な運営に不当に介入するものではない、という反論が一応可能ですが、後述⑸の独禁法の違反等の議論と相まって、慎重な対応が必要と思われます。
(3) 自治体の事務の範囲の問題
次に、自治体が取引先に対して人権DDの策定等の措置を求めることがそもそも地方自治法2条2項にいう「地域における事務」に含まれるのか、という問題があります。すなわち、企業における人権尊重の問題は、国全体で取り組むべき(本来「ハードロー」で律すべき)課題であり、そもそも一つの自治体のみの判断で結論を出せるような問題ではないことから、「住民の福祉の増進に努める」(同法1条の2第1項)自治体の事務としては、いささか荷が重いのではないかという根本的な問題ですが、この点は、次の⑷の論点とともに、以前の公契約条例の制定の場面でも、様々な議論がなされていました。
※ 公契約条例とは
地方自治体が行う公共調達や公契約の契約内容の一部として、調達・契約そのものの規律のほかに付帯的に政策目的を実現する条項を盛り込むことを定める条例をいうが、狭義では、公契約条例のうち公契約に係る業務に従事する労働者等に受注者等が支払うべき賃金の下限額に関する規定(賃金条項)を有するものとされている。2009年に千葉県野田市において、一定額以上の賃金の支払いを受注者に求める条例が制定されたことを皮切りに、各地で同様の条例が制定されるようになったが、最低賃金法が定める地域最低賃金額を上回る賃金の支払いを条例で義務づけることの適法性等、法的問題について議論があるなか、公契約の制定に向けた先導的役割を果たすことを意図して制定されたものであり、官製ワーキングプア問題に一石を投じたものとされる(宇賀克也「行政法概説Ⅰ(第6版)383頁」)。公契約条例のうち、狭義の公契約条例すなわち賃金条項を有する条例は「賃金条項型」とも呼ばれ、他方、賃金条項を有しない条例は「基本条例型」または「理念型」とも呼ばれている。
(4) 最小経費・最大効果原則との関係
地方自治法2条14項は、自治体の事務処理は、「最小の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない」と定めており、もしも公共事業や物品調達の入札にあたり、地方自治体が入札者・契約者における人権DDの策定やその実施状況をチェックすることが必要になるとすると、そのためには自治体職員による膨大な事務量が必要であり、最小経費・最大効果原則に抵触するのではないかという疑問があり、この処理コストの問題は、避けて通れない課題です。
今後、実際の制度導入にあたっては、職員の事務軽減のため、例えば、入札企業等に対して、人権DDの策定や実施状況等について、JIS(日本産業規格)やISO(国際標準化機構)のようなマネジメントシステム関連の規格認証を要求するなどの工夫も考えられるところですが(残念ながら現時点ではそのような規格認証制度は見当たりません。)、逆に企業側に過大な費用や責任を押し付けることになるのではないかという疑問も予想されるところであり、悩ましい問題です。日本弁護士連合会「人権デュー・ディリジェンスのためのガイダンス(手引)」(2015年1月)66頁においても、「発注企業が要求するCSR行為規範の遵守や人権デュー・ディリジェンスの実施がサプライヤーに過大なコスト・労力の負担を生じさせる場合には、サプライヤーが負担したコストの一部を価格に転嫁する等して、発注企業もコストの一部を負担することも検討することが望ましい」とされています。)。
(5) 独禁法等との関係
上記のほか、自治体が自己の取引上の地位を不当に利用して相手方と取引するというのは独禁法(2条9項5号)の優越的地位の濫用に該当するのではないかという問題があります。例えば、ガイドライン12頁においても、「企業が、製品やサービスを発注するに当たり、その契約上の立場を利用して取引先に対し一方的に過大な負担を負わせる形で人権尊重の取組を要求した場合、下請法や独占禁止法に抵触する可能性がある」と指摘されており、慎重な対応が求められています。
(6) 既存条例との関係
前述のとおり、全国の各自治体において制定された公契約条例の中には、「賃金条項型」と「基本条例型(理念型)」がありますが、いずれの類型の公契約条例においても、公契約の実施に当たっての公平性、透明性、競争性等の確保、地域における雇用の促進や地域経済の活性化、公契約の品質の確保や適正な履行、公契約に係る業務に従事する労働者等の労働条件等の労働環境の向上、さらには、環境保全、男女共同参画、障害者雇用等の社会的価値の向上等を規定するものが多く、それぞれの公契約条例の内容によっては、既存の条例規定の適用範囲を広げて、当事者企業における人権尊重の観点も射程に入れることが考えられます。例えば、企業において定期的な人権DDを実施し、その内容を自治体に報告するとともに、人権侵害の事実が判明した場合には、速やかに救済措置を講じ、外部への公表も義務づける等の措置が考えられるところです。
4 人権侵害事実の把握方法
以上のように、自治体の行う公共事業・物品調達の入札や契約等において、相手方企業に対してガイドラインに基づく人権尊重の取組を求め、かつ、条例や入札条件ないし個々の契約において、人権侵害事実が生じた場合の企業から自治体への報告義務等を課した場合であっても、不幸にして人権侵害事実が発生したにも拘わらず、企業からの報告がなされない(報告義務違反)という事態も生じうるところです。
そのような場合、自治体側において、企業からの人権DD措置以外の経路で当該人権侵害事実を把握する方法としては、①市民等からの情報提供・請願など、②関係機関からの通知(児童福祉法など)、③法務局の人権救済手続き、④マスコミ発表、⑤裁判所のホームページや判例紹介雑誌等による判決報道などが考えられます。
このうち、①については、情報の精度に問題があり、そもそも自治体が積極的に人権侵害の有無について調査するという立場でもないので(本来司法の役割である)、①のみで入札制限や契約解消に至る判断をすることには問題があります。
②については、ある程度の客観性は担保されていますが、件数として少なすぎるきらいがあり、逆に実効性に疑問があります。
③については、明確に人権侵犯の事実が認定されるメリットがありますが、被害者がマスコミ等に情報提供をしない限り公になることがなく、しかも2023年の人権侵犯事件の新規救済手続き開始件数は8962件に及んでおり、各自治体がその内容を調査すること自体、事実上不可能と言わざるをえません。
④については、大手マスコミにおいては、ある程度裏付け調査がなされていることが多く、情報の精度という点では①よりも優れますが、そもそもマスコミ発表の可否は報道価値に従って判断されるため、人権侵害の重大性よりもニュースバリューの観点が優先されるという問題点があります。例えば、企業における長時間労働による従業員の過労自殺の案件よりも、社長の不適切発言(例:従業員に対するジェンダー差別的発言)のほうが読み手側の興味をそそる場合もあり、企業として本当に再発防止に取り組むべき人権侵害案件が隠れてしまうといった事態も考えられるところです。
⑤については、2023年の民事事件の新受件数は約147万件、刑事事件は約86万件となっており、このうち判決の内容が裁判所のホームページや判例紹介雑誌に掲載される案件は、その1パーセントにも満たず、事実把握の方法としては不十分と言わざるをえません。また、和解案件については、そもそも判例紹介雑誌に掲載されることもなく、和解に守秘条項が盛り込まれた場合には和解内容がマスコミにも流れないので、事実確認が難しいという問題があります。
したがって、現実論とすれば、これらの複数のチャンネルから得られる情報の存否および真偽について企業内の人権DD履践の経緯(特に侵害認定や外部発表)を慎重に確認し、もしもその手続きに重大な欠陥が認められる場合には、契約解消等に向けての対応を検討することになるのではないかと見込まれます。
また、人権侵害事実が企業内の人権DDの履践手続き(例えば内部通報)から外れてマスコミ等に流出してしまったような場合には、被害者に対する苦情処理システムが十分に機能していないことの手がかりになりますので、当該企業における人権尊重の取組に対するチェックは、より厳しいものとならざるをえず、例えば公契約条例等において報告徴収、立入調査、是正措置、公表等の制度が規定されている場合には、所定の対応が必要となると考えられます。