最新ニュースから学ぶ米国の法制度⑦(刑事裁判の日米の違い・続編)-水原一平氏による横領事件-
執筆者
前回コラムをアップしてから、2日後に検察から弁護側の主張に対する反論書面(Response to Defendant Ippei Mizuhara’s position:水原一平の量刑意見に対する反論書面)が提出されました。今回は、この書面を題材に「論告求刑・弁論後の手続」の日米の比較をしてみたいと思います。なお、このコラムは、2025年2月2日(日本時間)現在の情報をもとに執筆しています。
1 日本の「認め事件」の流れ
まず、日本における起訴事実に争いがない事件、いわゆる「認め事件」の流れを見ていきましょう。日本では、認め事件であっても(略式手続等特殊なものを除き)基本的に刑事裁判手続に付され、裁判所において裁判がされることになっています。認め事件では、被告人が起訴事実に書かれている犯罪行為をしたことに争いがないことから、主に量刑が問題となり、検察官側は、調書や捜査記録を中心とした書面により、犯罪事実や犯行態様の悪質性等を立証します。一方で弁護側としては裁判所にできる限り軽い刑を求めて、「この被告人は情状酌量すべき事情がこれだけある」ということを示していくことになります。
そこで弁護人は、被告人の家族等に出廷してもらって証人として「今後、社会復帰した場合には被告人をきちんと監督すること」「経済的・精神的にサポートしていくこと」等を話してもらい、執行猶予を与えて社会内で更生することや長期の刑期でなくても社会復帰の可能性があること等をアピールします。さらに被告人自身への尋問により、反省の言葉や社会復帰への意欲等を引き出します。
最後に、検察官側から被告人に対する求刑となぜそのような刑期が妥当かに関する意見(論告求刑、といいます)が述べられ、弁護側から検察官側の求刑から減刑がされるべきこととなぜそのような減刑が妥当かに関する意見(弁論、といいます)が述べられます。この論告求刑、弁論の後は、裁判の手続は終了(弁論終結、といいます)し、裁判所が判決の言い渡し日を指定します。認め事件においては、起訴状朗読から最終的な論告求刑、弁論までが1回の裁判手続で行われます(つまり、刑事手続の実質的な審理は1回で終了し、後は判決を待つだけ、という状態になります)。
2 論告求刑・弁論後の手続@日本
日本の刑事裁判で論告求刑・弁論が終了し、判決期日が指定された後に弁護人・検察官は何をするかというと、基本的に何もしません。ただ判決を待つだけです。例外的に、判決期日指定後(弁論終結後)、被害者との間で示談が成立した場合などは、この示談の成立の事実が弁論手続で考慮されていないため、一度、弁論を「再開」してもらうように裁判所に申請する必要があります。弁論をわざわざ再開してもらうのは、裁判所は弁論により提出された証拠以外を判決に反映させてはいけないためです。いくら裁判外で示談が成立し、それが裁判官の耳に入っても正式に弁論において提出されなければ、判決を書く際に考慮することができないのです。
理屈の上では、弁論再開申請→別の日に弁論を再開、証拠提出→新たに提出された証拠を前提に、再度、別の日に判決期日の指定、というのが丁寧な処理ということになりますが、実務上は、判決期日を再度指定することが手間であることから、簡略化された方法で行われます。もともとの判決期日当日に弁論を再開し、その場で弁護側から示談書を提出してもらい、その後、弁論を終結し、その直後に判決を言い渡す、ということが行われています。つまり、判決言い渡しの5分前くらいに弁論再開→証拠提出→弁論終結をする、ということです。
鋭い読者は、「そのような方法だと、当日に提出された示談書が量刑に考慮されないのではないか」と思われるかもしれません。しかしながら、実務上は事前に検察官、裁判官に「示談が成立したこと」は情報共有され、裁判官も判決言い渡し日に示談書が提出されることを前提に判決文を用意しています。つまり、判決文を執筆する時点では「(裁判所の証拠上は)被告人と被害者の間で示談が成立していない」状態ですが、判決言い渡し時点では「被告人と被害者の間で示談が成立している」状態になっている、というわけです。批判的な眼で見れば「裁判手続が儀式化しているのではないか」と評価されるかもしれませんが、裁判手続という社会的なリソースを有効かつ効率的に活用するために実務上の知恵として、このような処理が行われているのです。
前回のコラムで日本の裁判を「登山ツアー」に例え、裁判が予定調和的になる面も否定できない、というお話をしましたが、このような弁論再開手続の処理も日本の裁判手続が重視する「法的安定」を表した一例かなと思います。
3 最後まで殴り合うアメリカの裁判
検察側・弁護側が双方に量刑に関する意見を出し合ったあと、2025年1月30日に、検察側から「水原氏側の量刑に関する意見は、証拠に基づかない事実に反するものである」という意見が出されました。日本で弁論終結後に双方が攻撃しあう、ということは考えられず、様々な攻撃の手段を与えられた「個人登山」流のアメリカらしい手続であるといえます。
4 検察官の反論書面の概要
前回の検察官の量刑に関する意見書はかなり「抑えめ」の内容でしたが、今回の反論書面では様々な観点から水原氏の主張に反論しています。
まず、①水原氏が長年ギャンブル依存症であったという証拠がない、ということを指摘しています。検察官の量刑意見書では「水原氏が仮にギャンブル依存症であったとしても、今回の事件の要因ではない」という控えめな主張でしたが、そもそもギャンブル依存症だったのか、という点に踏み込んだ主張です。検察官は、水原氏について30以上の国内のカジノの記録を調べたが、2008年にあるカジノで「200ドル」を費やした記録しかなかったこと、2018年にあるオンラインカジノに登録した形跡があるが、実際にベットはしていないこと、巨額のギャンブルに手を出したのは、大谷選手の金に手を付けた後のことである、と指摘しています。
次に、②水原氏が「賭博の金銭を支払いきれず、大谷選手の金銭に手を付けた」と主張する点は客観的状況に合致しないと反論しています。2021年9月にボウヤー氏に支払わなければならない借金は40,000ドル程度だったが、当時の水原氏の預金は34,000ドル以上あり、その金銭で支払えたはずである、と指摘します。
また、③「賭博に勝てば大谷選手から取った金銭も返すつもりであった」との水原氏の主張について、全ての賭博の配当金については、水原氏が自らの口座に入れており、水原氏が大谷選手に対し、一切金銭を返済する気がなかった、と再度指摘しています。
続いて、④水原氏が「大谷選手のサポートのために自分の収入からすると高額なアパートに住まざるを得ず、それも経済的困窮の原因だった」と主張する点について、水原氏が大谷選手の許可なく、それらの家賃を大谷選手のデビットカードで支払っている、という点を指摘しています。
水原氏の経済状況については、⑤ローンや家賃の支払いがなく、預金も2023年3月時点では30,236ドル、本件が発覚した2024年3月時点では195,113ドルもあり、「経済的に困窮していた」と到底いえない、と指摘しています。
水原氏がメディア出演の依頼などを大谷選手の要望で断っていたという主張に対しては、⑥大谷選手はむしろメディア出演については、賛同しており、実際にも「野球しようぜ!大谷翔平ものがたり」を執筆している(ebayという日本のメルカリのようなサイトの出品情報を証拠として提出しています)と指摘しています。
そして、今回の件が大きく報道されていることから、刑務所で収容されている間に苛烈な取り扱いを受ける可能性がある、との水原氏の主張に対しては、北カリフォルニア(サンフランシスコエリア)や他の地域の収容所であれば、そのような懸念はないだろうとも述べています。
この反論書の最後には、水原氏の反省、という点に対する厳しい意見が述べられています(約5頁の反論書のうち1頁超を割いています)。概要は以下のとおり(かなり意訳しています)。
「通常、どのような被告人も後悔の言葉を口にするのは当然のことであるが、重要なのはそれが真に後悔の気持ちから出ているのか、単に捕まったことを後悔しているのかということである。水原氏の主張を見ると、真に反省していると思えない。水原氏は、この裁判において真の反省や後悔を見せるのではなく、彼の通訳としての仕事や大谷選手に対する不平不満を述べている。水原氏は、反省することよりも自分のパブリックイメージのことにより関心を払っているのである」
5 検察官の意見に関する印象
検察官の量刑意見は約5頁とかなりシンプルなもので、水原氏の犯行に対する非難の言葉はありつつも、あまり感情を感じさせない淡々とした内容でした。しかし、今回の反論書では、水原氏に反省・後悔の気持ちが見えない、という点を1頁以上にわたり、指摘する等、水原氏を強く非難する内容となっています。
6 水原氏側の対応は?
このような検察官の反論に対しては、水原氏側も再反論(reply)をすることが考えられます。検察官の反論については、中々反論できない部分(例えば、賭博で勝った配当金は自分のものにしている、という点は中々反論しづらい)もありますが、反論できる部分もありそうです。
(以下の「こういう反論がありえる」という説明については、当然「そのような事実があれば」という条件付きであることを前提にお読みください)
まず、①水原氏が長年ギャンブル依存症であったという証拠がない、という点については、検察側は30程度のカジノの履歴を調べただけですから、実際に水原氏が通っていたカジノやオンライン賭博サイトの履歴、支払の履歴などがあれば、この点は反論可能です。
また、④水原氏が大谷選手の許可なく、それらの家賃を大谷選手のデビットカードで支払っている、という点については、家賃の支払は大谷選手の了解を得たうえで支払っていると主張するかもしれません。というのも、今回、検察官が提出している証拠は、単に大谷選手が家賃を払ったというデビットカードの使用履歴のみであり、それが無断使用かどうかはわからないからです。ただし、この点は大谷選手の了解の有無にかかわらず、大谷選手のデビットカードで家賃が支払われているという事実は、「家賃の支払いが苦しかった」という水原氏側の主張を潰すに十分な事情です。そこで、「大谷選手に家賃の補助をしてもらったのはあくまで一部である(今回検察官が主張する2022年10月のみ)」ということも主張できるかもしれません。
さらに、⑥水原氏が本を執筆しているというのは、誤りであるということも指摘できそうです。少なくとも「野球しようぜ!大谷翔平ものがたり」を出版する世界文化社のサイトでは、著者はとりごえこうじさん(文)、山田花菜さん(絵)となっており、水原氏が著者とはなっていません。同絵本の中で水原氏はドジャース入団会見の様子の中で描かれているに過ぎず、水原氏が著者、という話はこれまで聞いたことはありません。検察官が証拠として提出するのは“ebay”の出品情報であり、出版社の公式サイトの情報ではありません。ebayで証拠として引用されている出品者を確認すると、少なくとも世界文化社が運営しているアカウントではないと思われます。このように検察官が引用する証拠については、出品者が誤った記載(“Let’s Play Baseball- The Story of Shohei Otani, Written By Ippei Mizuhara”)をしており、水原氏は本の執筆をしていないという点は反論できると思います。
その他にも水原氏が大谷選手を非難する意図はないことやボウヤー氏への借金を全額支払える預金はなかったこと(40,000ドルの借金に対し、34,000ドルの預金)、全ての借金を支払うと生活が立ちいかなくなること等、主張する余地はあるでしょう。
7 弁護士の資質が大きく問われるアメリカの裁判
このようにアメリカの裁判は、当事者に色々な場面で相手を攻撃する方法を与え、与えられた武器をどう使うか、というのが代理人の腕の見せ所になっています。以前のコラムで取り上げたOJシンプソン事件では巨額の報酬で雇ったドリームチームと呼ばれるトップの弁護士たちが無罪判決を勝ち取りました。代理人の力量によって、結果が大きく変わることから、富裕層はトップ弁護士を選任し、有利な判決を得る一方、貧困層は、弁護士による十分な弁護を受けられない、という側面があります。一方で、日本の刑事事件、特に認め事件ではある程度「相場」が決まっており、裁判員対象事件を除き全ての審理を裁判官が担当するためブレというのは少ない傾向にあります。
このような違いは、日本の国民皆保険制度と民間保険に入るしかないアメリカの保険制度と似ているなと思います。日本では、収入の多寡にかかわらず、一定レベルの医療を国民が等しく受けられます。それに対し、アメリカでは富裕層は富裕層のための保険に加入し、受けられる医療のレベルや質は非常に高いものである一方、貧困層は最低限の医療(またはそれすらも受けられない)という状況となっています。「お金を出している人間がそれに相応するサービスを受けられるのは当然だ」という発想であれば、アメリカの方が「フェア」なのかもしれませんし、「国民は等しく同じレベルのサービスを受けられるべきだ」と考えると日本の方が「フェア」なのかもしれません。この問題に答えはありませんが、自分の社会の制度と他国の制度を比較して、その違いがどこから生まれているのかを考えてみるのも面白いかもしれません。